熊本教育ネットワークユニオン

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教育公務員特例法及び教育職員免許法の一部を改正する法律(教員免許更新制が廃止)

 いささか古い話だが、教員免許更新制が廃止された。このブログで一度も扱っていなかった。教育に関する労働組合であり一度は取り上げるべきと思った次第。

 2022年5月11日の参議院本会議で標記法律が可決され、政府も悪政をあらためることとなった。思い付きで始まり様々な影響で教育現場を混乱させた責任は誰も取ろうとしない。

 改正法の概要を日教組教育新聞から下に掲載する。 

日教組教育新聞(5月20日号外)から抜粋

 上記2の③に非常勤教職員等(「会計年度任用職員」)の研修についての付帯決議があります。非常勤講師の場合は必要な研修が「勤務時間としてカウント」されることを意味しています。

▶︎私たちの組合はひとりでも加入できます。▶︎教育と関係ある仕事であったらなんでも相談してください。問題解決には実績と自信があります。▶ご家族の相談でもよいです。▶「教える」仕事をしていなくとも加入できます。▶左と関係なく、困りごとがあられたらどなたでもご相談ください。適切な労働組合を紹介いたします。◆連絡先:熊本市中央区水前寺1-33-18 熊本県高等学校教職員組合気付熊本教育ネットワークユニオン宛(☎096-382-1133)

 

「ミヤネ屋」騒動記

「ミヤネ屋」騒動記

 あの恐ろしい豪雨から3週間も経ったというのに、まだ梅雨は明けていなかった。そしてこの日も終日、人吉球磨地方には大雨警報が出されていた。市の災害対策本部は早々に「本日の復旧ボランティアの受け入れは中止します。」と宣言した。現場へ向かうわが家族(妻と長男と私の3人)も、「今日は時間との勝負だ。雨脚が強くなれば高速道路が閉鎖される。その前に引き上げよう。」などと話をしていた。ところがそこで、例の山岳会会長から電話である。「今、現場へ向かっています。今日は20人弱です。あと30分ぐらいで到着します。」「ホホーッ、今日も来てくれるんだって。じゃあ急がなくちゃ。」俄然勇気が湧いた。そして、我々が到着しておよそ20分後、いつもの見慣れた中型バスが現れた。堂々と、悠然と、実にかっこいい姿である。
 折から雷鳴が轟いた。短時間で身支度を調えると、支援隊の皆さんは躍るように作業にかかった。会長さんが作業の予定を教えてくれる。「今日は外に積み上げてある被災物を集積場に運ぶだけです。軽トラと大型トラックも借りているので2,3時間で終わるでしょう。」何という手際の良さだろう。(このボランティア隊のこと、およびこれまでの経緯を理解していただくには更に10数行の説明が必要だと思われるので省略します。『ユニオン通信』’21年1月17日号「『どん底』から笑顔へ」をご参照ください。)
 幸い雷は治まったが雨は断続的に降り続いた。九日町通りの各店、各家々も今日に限っては家族だけでの復旧作業のようで、外部からのお助け隊が来ているのはわが家だけだった。この幸運を、本当に何と表現していいのか分からない。するとそこへ、明らかにお助け隊とは異なる服装をした若者たち5人がやってきた。一人が大きなマイクを、別の一人が大型で立派なカメラを担いでいる。「ははあテレビ取材だな。」とすぐに分かる。上着にはYTVの刺繍が入っている。あえて自分から声をかけた。 
 「朝早くから御苦労さまです。今朝はどちらから。」
 「ゆうべは福岡に泊まっていました。今朝早く人吉に着きました。」
 「YTVって、読売テレビでしょ。こっちでは放送していませんね。」
 「いいえ、『ミヤネ屋』ていう番組の……。私たちはそのスタッフです。」
 「ああ、『ミヤネ屋』ね、知っていますよ。」
(意外と自分が高飛車に出ている。)
 「それで、この取材がいつか放送されるの。」
 「間違いなく放送します。今日。」
 「今日!!」
 「はい、3時頃からの中継の中で。」

 カメラマンは早くも支援隊の作業の様子をカメラに収めていた。続いてインタヴューである。マイクはまず会長の方へ向かった。この人は新聞やテレビでもたびたび取り上げられる有名人で、したがって矢継ぎ早に繰り出される質問にも坦々と応じていた。次に被災者であるわが家族の順番だ。代表して私だけかと思ったら、そうではない。妻にもそして息子にも、似たような質問をいくつも投げかけるのだった。名前やその名の漢字表記まで聞いてきたので、ははあテロップで流すためだな、などと好意的にとらえることにした。しかし雨は相変わらず止む気配がない。インタヴューの最中には益々強まって、合羽を伝って大粒の滴が流れ落ちる有様だ。これじゃあ絵面も何もあったものじゃないだろう、しかしそこは編集で上手くやってくれるのだろう、などと素人らしく呑気に構えていた。が、体はだんだん冷えてきた。
 やがてすべての作業が終わった。まだ正午前だった。雨と泥で支援隊員の作業着はとことん汚れていたが、何せこの雨である。着がえる所とてなく、彼らは次々にバスに乗り込んでいった。「一言挨拶をさせてください。皆さんに感謝の気持ちを伝えたいので。」と会長にお願いして、自分もバスに乗り込んだ。すると、何とテレビカメラもついてくるのだ、あの狭いステップを割り込むようにして。「三日間のご奮闘のおかげで、すべての被災物の撤去、搬出、運搬が終了しました。皆さんの圧倒的な力には感動するばかりでした。本当にお礼の言葉もありません。団結する心の力強さも教えられた気がします。熱中症とコロナには十分注意されて今後も更にご活躍を、云々。」などと語った記憶がある。カメラはバスの中の様子も映していた。
 そのバスを見送って、われわれも直ちに帰路についた。3時の「ミヤネ屋」の放送に間に合うようにと。妻と息子が、大阪にいる次男、福岡にいる長女と連絡を取って、「今日の『ミヤネ屋』を録画しておくように。」と伝えた。なぜかは言わないで。果たして……。午後2時前には自宅に着いた。直ちにテレビをつける。コロナに関する話題で、昭和○○大学の先生の話が長々と続いた。そしてついにやってきた、午後3時。テレビ画面が人吉市青井神社前からの中継に切り替わった。キャスターが、なかなか復旧が進まない現状を伝える。現場のカメラが赤い鳥居や蓮池の様子をパーンする。そして2,3分後、ほんの一瞬(時間にして10秒)、録画が流された。それは会長でもわが家族の誰かでもなく、バスの中のボランティア隊の、作業を終えてほっと一息ついている様子だった。冷たい雨の中、あんなに長く立たされたというのに…。取材陣だって、1時間以上もカメラを回したはずなのに…。その夜、県外の二人から問い合わせが来たのは言うまでもない。「何で録画を取らせたの。」
                  (熊本教育ネットワークユニオン・S)

日本で死刑をしないときがあったのを知らなかった。

日本で死刑をしないときがあったのを知らなかった。


 平安時代の350年間ほどらしい。
 2021年時点で「108か国がすべての犯罪において死刑を廃止し、144か国が法律上或いは事実上、死刑を廃止している」と。フランスでは国民の多くは制度に賛成の多いなかで、1981年に廃止されとのこと。日本では賛成の人が多いらしく、存続を支えることになっているのか。「なんの罪もない人が殺され、、」という表現を見かけると、罪のある人なら殺す、ということも含まれているようで、死刑制度を是認するようすりこまれているのではと思われる。
 私は、死刑のことは、考えたことのない時は、考えないゆえに傍観的賛成の立場に位置していたと思う。先輩から、「死刑を仕事として執行している人がいる。何人かでどの人が実際の殺すことをしたのか分からないような形で行うが、執行したら、心に痛みを感じるらしい」と聞いてから、疑問を感じるようになった。仕事して心が痛む。自らの心を痛めるのが仕事というのは疑問である。
 平安時代の行われなかったのは、①穢れと見たこと②因果応報という宗教から③死人が天災などを起こす怨霊となるというようなことで、朝廷は殺さず島流しにしたと。武士が台頭してきて死刑がなされるようになり、現在も、殺された身内の人でも、犯人に死刑を求めない人がいるというのを過日新聞でみた。その立場になってみないと分からず、「その立場になって考えてみろ」と言われると、犯人に死刑をと思うのだろうと考えていたが、どうもそれだけではないとわかった。死刑制度があるから凶悪犯罪はなくなるというのは、もう成り立たないのではないか。「死刑になりたかったから事件起こした」という犯人も出ている(もちろんそれは間違ってることで許されることではない。抑止になってないということだ)。
 死は誰も避けられないことで、全てが無になる。しかし、病気や事故、寿命で死はある。人がどうすることもできない。そこには人の力は及ばない。死刑という、死を人為的になせるものなのか。戦争も死を強いている。

合歓の花

 三月にウグイスが鳴き始めた。今年は、ろくに練習もしていないのに初手から見事な「囀(さえず)り」だった。それから、もう来るか、もう来るかとホトトギスを待ったが来ない。やっと川向こうから「テッペンカケタカ」という囀りを聞いたのは五月の中旬だった。玄関先の小さな藪で、早くからホーホケキョとは聞こえたが、ホトトギスは六月になってやっと囀り始めた。ウグイスに抱卵してもらうホトトギスの産卵は間に合ったのだろうか。

 今日は絶好のポスティング日和。朝から重たいリュックを前に抱いて、高平台小学校グラウンド横の小道を、俯きながら歩いていると、淡いピンクの花が散り敷いていた。昨日の雨風で散った校庭の片隅の「合歓の花」だった。そうか、もう合歓の花の季節なのだ。

 合歓の花を見ると必ず思い出すのが「奥の細道」の「象潟(きさかた)」の場面だ。芭蕉は(秋田県の)象潟を訪れ、「俤(おもかげ)松島にかよひて、又異なり。松島は笑ふが如く、象潟はうらむが如し。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。」と述べ「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠んだ。

 西施は史記の「臥薪嘗胆」にも登場する絶世の美女。絶世の美女故の最期はむごい。合歓の花の美しさを西施に例えたこの句、そして太平洋岸の松島と裏日本の象潟との対比は趣深い。庭の紫陽花、苦瓜の花やミニトマトの成長、ピーマンの結実も季節の到来を教えてくれるが、やはり、幾世代も繰り返す自然の営みのそれには及ばない。

【ぶしつけでセンスのない編集者の注】

1) 合歓の花

ネムノキhttps://www.yokaphoto.net/02sozaiphoto/nemu/nemumoki.htmlから頂きました。

2) 西施:中国の四大美人(西施のほか楊貴妃貂蝉王昭君)の一人。

▶︎私たちの組合はひとりでも加入できます。▶︎教育と関係ある仕事であったらなんでも相談してください。問題解決には実績と自信があります。▶ご家族の相談でもよいです。▶「教える」仕事をしていなくとも加入できます。▶左と関係なく、困りごとがあられたらどなたでもご相談ください。適切な労働組合を紹介いたします。◆連絡先:熊本市中央区水前寺1-33-18 熊本県高等学校教職員組合気付熊本教育ネットワークユニオン宛(☎096-382-1133)

 

 

 

印象派との出会い

 5月下旬に県立美術館に妻の発案で一緒に行った。「印象派との出会い~モネ、ピカソから黒田清輝、フジタまで~」を鑑賞した。久しぶりの二の丸公園。私が中学生くらいまでは第二高校の黒い木造校舎があった。戦後の学生急増のため、医大移転後の跡地を利用して開校したと聞く。私が小さい頃、第一高校は上通り近くの藪内(今のホテルキャッスルあたり)にあった。父が勤めていたので、付いて行った時の古い木造校舎の記憶がある。古城に移転した新校舎にも行ったことがある。その頃は門に守衛さんがおられたので、緊張して名乗ったように思う。

 相変わらず二の丸公園は広い。木陰にいる人、芝生で遊ぶ人、修学旅行生の一団もいる。県立美術館は何年ぶりだろうか。妻は、説明文を全部じっくり読んで鑑賞している。私の方が見るペースがいつも早い。一度見終わってから、また最初の方の作品から素早く見直す。いつも最後は椅子に座って待っている。

 今までにはなかったが、今回の作品展では撮影可とされているものが半分以上あった。カメラもスマホも持参せずに残念であった。ときどき、撮影不可のものを撮ろうとして係員から注意を受けている人もいた

 

 いつかは思い出せないが、随分昔に母に付いて福岡にルノアール展に行った。そのときに手に入れた少女の絵のポスターが気に入って、ずっと部屋に貼っていた。印象派の絵は分かりやすく見やすい感じがする。それぞれに個性的だとは思うが、フォービズムだ、キュビズムだと言われても何かピンとこない。写実から感覚的なものに移っていったのだろうくらいの感じでしかない。

 今回のルノアールの作品の中に裸婦の絵とブロンズ像があった。いずれも肉付きが良くて、特にブロンズ像は土偶を思い起こしてしまった。自分勝手に縄文時代の日本と1900年代初めくらいのヨーロッパに共通する美意識があったのかもしれないと思うとなんだかおもしろい。

 

 レオナール・フジタ(藤田嗣治)を知るようになったのは、多分テレビ番組の「なんでも鑑定団」で見てからだと思う。日本画の技法を取り入れた独特の油彩画とともにその風貌が印象に残った。この作品展の中で画家の顔がすぐに浮かぶのは彼とピカソくらいだろう。ルノアール、ミレー、マネ、モネなども顔が浮かばない。銘がなかったら、作品も見分けられないだろう。

 「鑑定団」に出てくる美術・骨董品の真贋や売買価格などは本当に分かりにくい。西洋画、日本画、彫刻、西洋アンティーク、おもちゃ、書や古文書、サイン、スポーツ用品・・・・・。絵画は本物の画像と見比べると贋作が分かることもあるが、陶磁器は全く分からない。こんなものがこんなに高いのかと思うことがよくある。美術・骨董品に家1軒分は使ったという話も出てくる。ものによっては箱の有る無しで価格が随分違う。演出かもしれないが、審美眼に絶対の自信を持った方ほど贋作と判定されることが多いようだ。週2回放送されているが、再放送でこれは見たなと思っても真贋を忘れていることも多い。妻から「何でも忘れてしまうとだから、何回見ても一緒たい」と言われるが、紹介ビデオや専門家の解説によって多くの美術作品や作者を知ることができた。

 

 先日、今年度来られた講師の方が大学の同級生であることが2ヶ月経って分かった。準備室で2人の先生とその方の話になり、姓や教科などを聞いて突如記憶にひっかかるものがあった。下の名前を確認して家で卒業アルバムを見たら、確かに載っている。翌日職員室に行って挨拶をしたら、向こうも思い出された。年上で専攻教科も違ったが、同じ講義を受けたこともあり、教員になってからも会ったことがあるように思う。コロナ禍でマスクをしている上に職員室には時々しか行かない。更に、お互い年取って容貌も変わっている。いやはや、頭も衰えてきているとはいえ思いがけないことであった。

 

 昨日、新型コロナワクチンの4回目の接種券が届いた。学校に勤めているからには用心しておこうと早速予約した。3回接種した同じ病院で土曜日に予約しようとしたら、妻が土曜日に接種したときは人が多かったと聞いた。そこで慎重になって、7月上旬の授業の空き日に予約できた。コロナへの接し方はどんなところに落ち着いていくのだろうか。

 

(熊本教育ネットワークユニオン true myself)

趣味を生きる

 

趣味を生きる

 ウクライナの侵攻があって1カ月ほどたった頃。テレビのワイドショーは、ウクライナ情勢の話題でもちきりだった。したり顔のコメンテーターが、核共有論等を捲し立てていて、これ以上テレビを観ると気が狂いそうになった。

 いてもたてもいられず、ドライブに出た。行き先は決めてなかった。以前から行ってみたかった佐賀市鉄道模型リサイクル屋さんを覗いてみることにした。持っているのに3月に引退するロマンスカー東海道本線の電車を中古で購入する。

 あとは佐賀牛ランチをして帰ろうと思ったが、またしても満員で断られたので、近くの佐賀牛ハンバーグのお店を検索してランチをすることにした。注文のハンバーグを待つ間に、鉄道模型をググルと、Γ鉄道模型とカレー焼き」と出てきた⁉️小城町にあるお店なので、佐賀市からは近くだ。ダメ元で電話してみると、カレー焼きの方は休みですが、レンタルレイアウトはやってますとのこと(レンタルレイアウトとは、鉄道模型を走らせることができるジオラマを有料で貸し出す施設で、残念ながら熊本にはないみたい)お店がお休みだったので、購入したロマンスカーを走らせながら、鉄道模型ビギナーの私の初歩的な質問に店主から答えてもらった。帰り際にお互いの元職を紹介しあうと、店主は何と元教員だそうである。しかも、特別支援に長く関わって来られてきた方だった。定年退職を気に、趣味の鉄道模型を生かすお店を始められたということだった。その日は時間切れで、再訪を期して帰宅した。

 以前、積極的趣味が退職後鬱の予防になると書いたことがありましたが、素敵な生き方をされている方と偶然知り合いになれましたので、ご紹介まで。

 なお本日づけの朝日新聞に、この鉄道模型とカレー焼きのお店のことが紹介されているとのことでした。

 <注> 本日づけの朝日新聞佐賀県版です。該当の朝日新聞デジタルの記事は

https://www.asahi.com/sp/articles/ASQ5V72WCQ5PTTHB003.html?iref=sp_photo_gallery_above (気になる看板「鉄道模型とカレー焼き」 現役駅長や運転士も来店 )です。

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倉庫から出てきた「沖縄に関する講演の記録」⑧ 【古典舞踊・三線】

倉庫から出てきた「沖縄に関する講演の記録」⑧ 【古典舞踊・三線

     25年前に、高教組菊鹿地区本部が主催する夏の地区教育研究集会で石川眞昭(安仁屋眞昭)さんを講師に迎え講演していただいた記録である。記録を残し石川様に印刷の許可を得る作業中に本当に「お蔵入り」してしまっていた。このブログを借り何回かに分け掲載したい。尚、テープをおこした文章であり、これ関する責任は編集者にある。

熊本高教組菊鹿地区本部の教育研究集会

   講演  九州芸術工科大学(当時)  石川眞昭(安仁屋眞昭)さん

       現在は宜野湾市におすまいです。

【古典舞踊・三線

 もう一つ、沖縄文化では古典舞踊・三線が大変盛んでございますが、沖縄の方では、先ほど武器を捨ててと言いましたが、今から500年ほど前、尚真王という方の時代に武器を捨てて、官に登用するときに、三線か踊りを教養を持つ条件として励んだと言っことです。沖縄の方では一般の方より、首里の大名家の子弟の方が三線・古典舞踊に励まれたと言うことです。もっとも、琉球国の国王が変わるたびに中国から冊封使が来ます。これは、琉球国王を中国の皇帝が任命するという形式をとっているのです。そして、その時王冠を持ってきたと言うことです。そこで、この冊封使の船を御冠船と呼んでいました。その時に冊封使を歓待するときに沖縄の方で古典舞踊を始め歓待をしたそうです。その時の踊りが「かんせぬずい」といわれ、沖縄の宮廷舞踊は全てこれで、その時は女の人は踊ることはありません。全て男だけです。沖縄の踊りは元は男だけなんです。今の日本の歌舞伎は男だけですが・・。ということは 貴族・大名の教養として三線・古典舞踊を習って、御冠船の歓待の劇に出ることは大変名誉なことでした。皆さんは時々、びんがた衣装を付けての踊りをテレビでご覧になられると思いますが、あの踊りは全部男の踊りなんです。仕草は女の仕草もありますが、全て男の踊りであったわけです。戦後になって女の方の舞踊が盛んになっているわけです。戦前でも、だいたい古典舞踊は男が踊っていたわけです。本土の方で大名の子弟が踊りを踊っていたということはなかったと思います。能楽は趣味のある大名家の人は踊ったでしょうが、普通の踊りは本土の方ではなかったと思います。沖縄の場合はそう言う意味で武器を捨てて古典舞踊あるいは古典音楽が今盛んになっているのもそのような素地があったということでございます。

( つづく 次回は【「命ぞ宝(ヌチドゥタカラ)」】です。)

 ▶︎私たちの組合はひとりでも加入できます。▶︎教育と関係ある仕事であったらなんでも相談してください。問題解決には実績と自信があります。▶ご家族の相談でもよいです。▶「教える」仕事をしていなくとも加入できます。▶左と関係なく、困りごとがあられたらどなたでもご相談ください。適切な労働組合を紹介いたします。◆連絡先:熊本市中央区水前寺1-33-18 熊本県高等学校教職員組合気付熊本教育ネットワークユニオン宛(☎096-382-1133)