熊本教育ネットワークユニオン

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冬が来る前に

冬が来る前に


 北海道では平地で、東北地方では高山で、初雪が降ったそうだ。季節は確実に冬に向かって動いている。ここ九州でも、やがて錦の葉っぱが散り始めるだろう。急がねばならない。心が落ち着かない。一昨年、昨年は雁俣山で紅葉を堪能した。さあ今年はどこに……とさんざん迷ったが、結局、最も近く最も慣れ親しんだ竜峰山に行くことにした。紅葉を楽しめる山ではないが、秋の空気は感じ取ることができるのではないか、そう考えた。

    28回目の竜峰山登山である。神社を起点とするいつものルートではなく、東片自然公園を出発点とした。長いルートだが、久しぶりに辿るので楽しみの方が大きかった。山頂までの標高差はここでも500メートルと変わらない。が、初っぱなの石段で相当な体力を奪われた。その後もアップダウンが続くので、なかなかペースが上がらなかった。ムカゴ採りに興じたり、岩尾根展望所に立ち寄ったりもしたので、初心者並みのゆっくり登山となった。最後はへとへとになって山頂着。しかしそこには、秋らしい、優しい光と穏やかな空気の流れがあった。
 この山は寛大だ。訪問客をいつも快く受け入れてくれる。そしていつものように夢想に誘う。林の中ではわが心は自由だ。水の流れにさすらうことを学んだ、あの粉挽き青年のように。ここには目を惹く花も沸き立つ泉もないが、岩はわが呼吸(いき)を知り、木々はわが言葉を理解する。さあ進め、辿れ、お前の道を。夢の旅路を。そして希望を歌え、青年の澄んだ心で。すると、すると…。はたして目の前に現れるだろうか、美しい水車屋の娘が……。――こんな幼稚な夢想に耽っても、若さが戻ってくるわけではあるまい。まして、俗気を満身に詰め込んだ今の己にとっては。
 帰路、鹿の親子に出会う。子鹿がいち早くよそ者の気配に気づいて、跳ねるように薮の中へ消えた。親鹿が、人間を一瞥して子どもの後を追った。可愛いけれど、下草や低木類を食べ尽くす害獣でもある。要所には防護用のネットが張り巡らされていた。

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  こんなにもたくさんの木々が並んでいるのに
     どうして森は静かなんだろう
     みんなで沈黙を楽しんでいるのかとさえ思う
     戯れて「お―い」と呼んでみた
     森は寂しさを送り返してきた
                        (ネットワークユニオン・S)

 

▶︎私たちの組合はひとりでも加入できます。▶︎教育と関係ある仕事であったらなんでも相談してください。問題解決には実績と自信があります。▶ご家族の相談でもよいです。▶「教える」仕事をしていなくとも加入できます。▶困りごとがあられたらどなたでもご相談ください。課題解決に向け共に汗を流します。適切な労働組合を紹介することも可能です。◆連絡先:熊本市中央区水前寺1-33-18 熊本県高等学校教職員組合気付熊本教育ネットワークユニオン宛(☎096-382-1133)  

 

「ユニオン通信」2022年11月3日

 

 

▶︎私たちの組合はひとりでも加入できます。▶︎教育と関係ある仕事であったらなんでも相談してください。問題解決には実績と自信があります。▶ご家族の相談でもよいです。▶「教える」仕事をしていなくとも加入できます。▶困りごとがあられたらどなたでもご相談ください。課題解決に向け共に汗を流します。適切な労働組合を紹介することも可能です。◆連絡先:熊本市中央区水前寺1-33-18 熊本県高等学校教職員組合気付熊本教育ネットワークユニオン宛(☎096-382-1133)  

 

 

 

不条理とは、服を着て濡れないように川に飛びこむ、らしい

不条理とは、服を着て濡れないように川に飛びこむ、らしい

    天然芝のコートで、テニスをしたいとあこがれるが、まだ未経験で、普段は人工芝のオムニコートでプレーする。が、一週間に一度、土のクレイコートでプレーする。
    土のコートだからラインを作らないといけない。石灰を使うこともあったろうが、今はだいたいテープをはってある。このテープでコートにわずかに段差ができることもあり、そこにボールが当たるとバウンドしたあと、入射角反射角のまっとうな関係を壊して急に上に行く。それでボールを、打てず相手にポイントとなる。逆もあるが。またテープに当たり滑ってバウンドが変わることもあり、イレギュラーバウンドになることもあるのが、難点である。でも土は体に優しく膝痛めにくく疲れもオムニコートより軽いと聞いてきた。
    5年ほどたったか、突然なぜか、ボールが、遅くなると気づいた。(知人にオムニとクレイでのプレーの違いを聞いたことはあるのだが、認識までに至ってなかったと言える)人工芝と土では、ボールが反発する力は違うのは当然だろう。だからバウンドしたボールはスピードも高さも人工芝と土で変わるのは当然である。そのことに気づくのに5年かかったという訳だ。
    テンポが変わってるのだ、遅く。音楽で言えば、モデラートをアレグロで演奏しているというようなものかもしれない。それは心地よくはないであろう。仰げば尊しをテイクファイブのテンポで演奏したら、尊し感はあるか?(尊し感はテンポ抜きに話せるかもしれないが)
     バウンドしたボールをオムニコートでは、0.0030秒後地上0.30mの地点でラケットのスイートスポットに当てるのが、土のクレイコートでは0.0035秒高さも0.29mで当てるべきというようなことである。
    それでも身体はボールに対応してきていた。だが、心は、実態0.0035秒なのに感覚0.0030秒として決めていたのである。これでは、勝てるはずはない。もちろんナイスプレーもあった。(自分で言うのもなんですが)でもクレイコートではなかなか勝てなかった。この敗因は、ボールが遅くなるという認識がなく、故に心と身体が、一致しないままプレイしていたからだと判明した。
    これがわかったのは、つまり真実を見つけたということで、これ以後連戦連勝かと思われるが、意外にもそうなってない。私にとっての不条理なのかもしれない。しかしそんな不条理はどうでもいい。   
     物価はあがり、年金は下げられ、給料はあがらず、防衛費はあげられようとして、国民の暮らしは苦しくなってるのに、その大元である自公政権が退場しないのは許しがたい不条理である。

一瞬の天体ショー・・・宇宙の歴史138億年

一瞬の天体ショー・・・宇宙の歴史138億年

 11月8日は皆既月食だった。今回は442年ぶりの惑星食だそうで、テレビでも新聞でも、えらく盛り上がっていた。「天王星の惑星食」は弥生時代以来だと言う。宇宙空間と時間との関係に思いを馳せた。

 夕食後ベランダに出て空を眺めたが、あいにく我が家は屋根・壁塗装のため足場にネットが張ってあって見えない。外に出ると、満月の左下が既に蝕されていた。市内ではここ数年、星座も見ることができないから惑星蝕を観測することなど初手から諦めていたが、翌日の朝刊で天王星のあまりの小ささを見て、それが正しかったことを確認した。

 現役の頃、授業中に「江戸時代を生で見ることは出来る。300光年先の宇宙にステーションを建設して、そこに『瞬間移動』する。超々精巧な望遠鏡で覗けば300年前の光、つまり江戸時代が見えるだろう。どうだ、そう思わないか?」などとちょっかいを出したが、残念ながら反応は薄かった。しかし、ハッブル望遠鏡が捉えた「ビッグバンの6億年後、宇宙創生期、宇宙最深部の銀河群」の写真を見て、空間的距離と時間的距離の不思議に打たれるのは私ばかりではなかろう。ひるがえって日本の、いや世界の政治状況(人間のありよう)を考えるにつけ、せっかく与えられたこの上なく美しい地球に生きるちっぽけな市民として、宇宙140億年の歴史に申し訳なくてたまらない。人類は地球上最も有害で短命な生物として葬られてしまうのだろうか。

 皆既月食の翌日早朝、柴犬小太郎と散歩に出ると、東の空は立田山の山際が赤みを増していて、西の空には昨日にも増して大きく見える満月が、世紀の天体ショーのことなどすっかり忘れてしまったように、白い光を放って静かに沈もうとしていた。

 

「ひむがしの 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれは 月かたぶきぬ」 柿本人麻呂

(11月13日)

杵島岳に結石とともに

杵島岳に結石とともに

 

 10月下旬、阿蘇杵島岳に登った。例によって、新聞の紹介記事を見た妻の発案である。阿蘇五岳の山頂に到達したのは、初めてだと思う。

 5・6年前の臨採の時、毎日校舎から根子岳高岳そして中岳の噴煙などを眺めていた。随分昔の断片的な記憶がある。小学校高学年のクラスで、担任の先生について南阿蘇の地獄・垂玉温泉から草千里まで歩いた。到着地を思い出せないが、登山自動車道が有料の頃、坊中の料金所の横を通って山道を登った。中岳の火口縁を歩いている人を噴煙越しに見たが、当時も立ち入り禁止だったのではないだろうか。

 草千里のすぐ北の展望デッキのところに車10台くらい駐められる。平日だが、空きが無かったので、しばらく待った。昔は反対側にも展望所があり駐車場があったが、今はガードレールで閉ざされている。草千里の有料駐車場には確実に駐められるだが、ついつい小市民感覚で節約してしまう。

 火山博物館や土産物店そしてレストランなどの前を通り過ぎて、駐車場の東端から40分ほどで頂上である。全部コンクリート舗装されて、勾配が急なところは階段状になっていた。道しるべがある分かれ道が2ヶ所あった。年を取っていることもあり、最後の坂はかなりきつかった。

 

 往路では、ガイドを先頭に10人くらいの年配の集団と擦れ違った。皆それなりの装備と服装であった。こちらは、散歩の服装と靴で帽子をかぶったくらい、少し恥ずかしい気もした。自然と挨拶を交わした。若いカップルが道の脇で弁当を広げている。振り返ると、遠く眼下に駐車場が見えて、我が車も見えそうである。

 頂上近くなると急に風が強くなる。風向きなのか、地形のせいか、急に寒さを感じる。眼下に噴煙を上げる中岳第一火口が広がる。火口縁を一周しようとしたが、無理せずに途中で引き返した。頂上とは別の火口縁の険しい峰に2人登っているのが見えた。あそこまでは行くのは、私たちには厳しそうである。

 復路で、年配の夫婦に横に見える険しい峰が頂上かと聞かれた。頂上は登ったら、その先にあると伝えた。

 草原には野草の花も見えるが、桔梗くらいしか分からなかった。領域は限られるが、道の両側にはススキ。熊本市内では見られるセイタカアワダチソウが無い。一頃の草地や道路脇を制覇しそうな勢いはどうしたのだろうか。先日、緑川の河原で白と黄の両者が陣地を取り合うように勢力争いをしている光景を見た。

 そんなに疲れていないと思っていたが、夜になって右太ももの内側がつった。左膝後ろのひかがみ辺りもつった。時々散歩しているくらいでは、寄る年波には抗えないのだろう。

 

  11月初めの午前2時頃に突然、右腰の背中側が痛くなり目が覚めた。背筋がつっている様な気もしたので、湿布を貼った。普通の腰痛とは違うようで、姿勢をどんなに変えても楽にならなかった。寝るのは辛くて、ずっと立っていた。そのうちに、右腹に違和感が出てきて、吐き気までしてきた。2時間以上ウロウロしたり、横になったりを繰り返した。明け方、ようやく横向きで少し眠ることができた。

 

 食欲もなく、朝食は摂らずに近くの総合病院に行った。受付で腰が痛いと言ったら、整形外科の先生に見てもらいましょうかと言われた。ただの腰痛とは違うようだと伝えて、質問表に症状などを記入した。診察室で、何か深刻な病気が分かるかもしれないとドキドキしながら、問診や触診を受けた。CT検査では、台の上で両腕を頭の上に組んで、装置の穴の中を往復した。病気での入院経験がないので、多分CT検査は初めてのような気がする。MRI検査は全く無い。画像には尿管結石が映っていた。2.6mmで、膀胱近くまで来ているそうだ。他方の腎臓には結石は無かった。

 授業で、シュウ酸は2価の弱酸でホウレン草などに多く含まれる(実際には水溶性のシュウ酸ナトリウムなどとして)とか、体内にできる結石の主成分は水に溶けにくいシュウ酸カルシウムなどと言っていた。まさか、自分が「石持ち」になるとは思ってもみなかった。尿検査での異常はほとんど無かった。酸性だと尿路結石ができやすいようだ。血液検査もしたが、結果は翌週に分かり、大体正常値であった。

 担当医がCT画像を説明してくれた。「膵臓を心配してました」と言ったら、「反対側です」と返された。他もおおむね異常は見られないようなので、ホッとした。結石を溶かして流す薬と痛み止めそれに胃腸薬をもらった。その日は、痛みと違和感があったが、翌日にはほとんど感じなくなった。水分を多めに摂り、毎食後薬を飲んだ。多分、結石は膀胱には着いたと思うが、溶けたのか体外に出たのかは分からない。

 

 杵島岳に登っていたときも、学校で授業をしていたときも、腎臓に結石があったことになる。いつかは分からないが、かなりの確率で痛みが出る時限爆弾みたいなものを体内に抱えていたことになる。インターネットで調べたら、私の症状は尿管結石の典型的なものであった。もう味わいたくはない。再発しないことを願うのみである。

 

(熊本教育ネットワークユニオン true myself)

今日の『日刊ケンダイ デジタル版』から

今日の『日刊ケンダイ デジタル版』から、

【引用はじめ】

「宗教法人、被害者救済、日韓トンネル国交省)、防衛安保など、教団との付き合いが職務に関わる副大臣は少なくとも辞めてもらうしかないが、関係が発覚するたびに政務三役を更迭していたらキリがない。まったく関係を持っていない人を探すのが大変なほどです。それだけ自民党と旧統一教会の関係は深く、もはや一体化しています」(法大名誉教授・五十嵐仁氏=政治学

 旧統一教会だけでなく、自民党にも解散命令が必要かもしれない。

【引用終わり】