熊本教育ネットワークユニオン

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「ブラック校則」を考える。ついでにブラックな学校現場についても。

「ブラック校則」を考える。

生まれつきの髪色が黒以外の人の中で、黒染めするよう要求された人は、中学校では9%、高校では17.6%にのぼり、年代別に見ると、年代が若い方が黒染めするよう要求された割合が高くなっている状況が明らかになりました。

また「下着の色が決められている」が15%、「体育や部活時に水を飲んではいけない」が3%。毛髪指導として「黒く染めるよう要求された」という人が全体の2%。「明らかに不合理な校則があり問題だ。子どもの人権を侵害するものは見直すべきだ」。

 

以上はブラック校則をなくそう!プロジェクト @black_kousoku

から取りました。

 8月に教育文化総合研究所(日教組の研究所)が主催し研究会が行われています。以下はその記事(社会新報18年9月12日号)です。

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 しかし、校則だけでなく、学校全体がブラックな場所になってしまってますね。

以下は熊本日日新聞(2018年9月9日号29面)

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 1970年代に教職をスタートした年代の教職員は学校全体がもっと自由に意見を言い、もっと明るく生徒たちと活動し、教職員同士ももっとお互い交流と信頼関係があった時代を知っている。

 夕方6時過ぎに部活動が終わったグラウンドではソフトボールに興じたり、体育館ではバレーボールをして汗を流したりする姿がよく見受けれれた。(県立学校)教職員体育大会(当時ソフトボールと9人制バレーボールが九州各県で共済組合と教職員組合の共済でおこなわれていた)地区予選、県大会、九州大会がなどが開かれていた。

 教職員の研修も活発で、教職員は現場でお互いに学ぶという精神で教育研究集会が活発に行われていた。これも地区教研(地区教育研究集会)、熊本県教育研究集会と段階的におこなわれていた。

 このような取り組みを実際動かしていたのは教職員組合(高教組)だった。しかし、1980年代から県教育委員会(と県議会の一部勢力)の組合敵視政策、人事を使った「黄犬契約」的人事政策(「組合をやめなけば希望の学校に移動させない・組合をやめなければ教頭にさせない」を人を選んで「こっそりと」を装いすすめる)の横行(⇠現在はほとんどないが当時は「パノプティコン」的であり心理的に追い詰められたものも多く、それに従った人が管理職になりさらに自らがその政策を「増幅」している例(人の心理は複雑でかつ単純です)も多かった)、仕事場に授業をしない教員(1980年代は校長以外は授業が本務。教頭も半分は授業を担当していた)を増やし多忙になり,職場は日に日に暗くなった。この政策を進めるとき、進める側の心あるものは「このしっぺ返は・・・」と心配したとも言われる。

 それから30年以上たった現在、職場はかつての明るさから遠のき、多忙化が極限まで進み、ボディ-ブローのように「学校」全体に、「しっぺ返し」として効きはじめていると診ることができるだろう。

 そのことをこの一連の動きにかかわった人たちは自覚しているのだろうか。していないだろう。笛を吹いたり踊ったりするものの中に当然のことだが気づく能力のあるものはほとんどいなかった。有能なもののほとんどは「裏切らない」のだから・・・。 

 暗い話となりごめんなさい。

 『「対策難しい」 悩む県内教育界』の見出し。現場では校長は十年以上前から「私は○○は致しません」式の誓約書を書かせるというような愚劣なことをやり、安心し、さらに提出しないものを責めるということに血道を上げてきた。今こそ県教委は異なる意見をもつ(私のような)人たちに意見を求めるべきであろう。また、まずフロムの本でも読むことをおすすめする。

  再度「暗い話となりごめんなさい」。