親ガチャ
ネット発の言葉「親(どんな親の元に生まれるかによって当然ではあるが子どもの人生は変わる。」に興味を持って数件の記事を読んだ。うまくまとめられないので、その中の文章から引用する。
「親への恨み節ではなく、貧困の再生産への警鐘」(フリーライター ヒオカ) 私の絶望は、障害のある父の元に生まれたことでも、貧困家庭で育ったことでもない。その後の支援が薄く、脆弱な社会保障制度、自己責任論がまん延し、行き過ぎた「自助」を強いられる今の日本社会に対してだ。 生い立ちによるハンディは振り払っても振り払って振り払っても全力で足にしがみついてくるし、進学後も就職後も、周囲とのあまりのベース、背負っているもの、乗り越えなければならないものの違いに、途方に暮れ、打ちのめされることは少なくなかった。 親の所得で選べる選択肢が決まりハンディを負わざるを得ない人たち、貧困が再生産され固定化されるこの社会への違和感を抱えている人たちに、「親ガチャ」というキャッチーでセンセーショナルな言葉がハマったのではないか、と思うのである。 それぞれが背負ったものは本人にしかその景色は見えないし、体験もできない。 自分には想像もできないハンディを背負った人たちが世の中にはいるということを、頭の片隅にでも置いておいてほしい。 |
個々の人生に立ち入ることは難しいが何かできることはないかと思うと、内心忸怩たるものがある。衆議院選挙が近くなってきている。1票の重み。投票に行こうと思ってしまう今日この頃です。
(ネットワークユニオン H )