熊本教育ネットワークユニオン

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河童橋に龍之介はいったのか

河童橋に龍之介はいったのか

 

    知人から上高地は行ってみるだけのことがあると聞いていた。一度その地を歩いた人が、「そこに行ってない時に、現地からのメールはいらない」と言う。それほどの憧れの地である。

    バスから降りるとすぐ大正池がある。大正時代の噴火で、梓川がせき止められてできた池という。明治だったら明治池か。間違ってあっちいけと読んだら、嫌だなあ。読むわけないか。いくつか立ち枯れの木も見られる。堆積した土砂のため浅くなっているが、底は、灰色をベースに褐色や、緑などそのまま見えるほど水が透明に流れている。上流に向かって、白樺や、熊笹のある小道を、寒い一歩手前の空気感の中、歩くと、河童橋があらわれる。かって、河童が住んでいたとか、この川を渡る人が河童のように見えたからとか言われるらしいが本当のところはわからない。かっぱらいと関係あるのか、もわからない。多分それは無いだろう。そして芥川龍之介が、河童を書いたと思い出した。この河童橋と関係するのか。お腹のなかにいる河童にお父さんかっぱが、「君は生まれてくるのがよいか、生まれないのが良いか考えて、答えなさい」と言うと「お父さんが嫌だから生まれたくない」みたいな答えのやり取りがあったかなと朧げに、芥川の、個人尊重の姿勢と社会への見方など勝手に考えて、ネットの青空文庫で走り読みした。「そういえば上高地河童橋があると思い出した。」との部分があった。この河童橋のことであった。では、ここにきたのか。この一文で判断ができるか。「あると思い出した」、とはあるが、行った、ではない。難しい。へのかっぱ、はここから来たのではないことだけは確かそうだ。とは言え、今日中に完成させないといけないのに文がぬかるみにはまった。河童に尻食われたか。支離滅裂か。あとは尻ません。

(M)