熊本教育ネットワークユニオン

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自然が語る

自然が語る

 ほろほろと山吹散るか滝の音、

という松尾芭蕉の俳句がある。この俳句についての解釈を新聞で読んだ。

これは、滝が語っていると。それを人が聞いた。そしてこの俳句ができた、と。自然が語ることを人間は聞くのだ、と。

 この解釈は私にとって衝撃だった。俳句とは、季語をもとに、自然への感動を五七五として絵が見えるように、人が言葉にするのだろうと思っていた。

ところが、「自然が語っている」である。自然界に存在するから人間と月花雪には通じるものがあるのか。だが、言葉がある人間どうしですら国をこえたら言葉は理解不能ではないか。自然が語るとはなんなのか。

    宝積という言葉があると最近知った。ほうしゃくと読む仏教用語で、人に尽くして見返りは求めないということ、だそうである。それは、亡くなった妻がこの通りの生き方だったと思った。子どもの通う小学校の給食室を作ってもらおうと、運動した。読み聞かせ活動をした。匿名で多くの募金をした。ブログで平和を訴えた。実家の母を1週間に1回会いに行き続けた。子どもに習字を教えた。親に、姉に、弟に、子どもに、連れ合いの私に、尽くした。そして一切の見返りはなかった。要望することもなく、不満も言わず、もちろん、その生き方を語る言葉はなく、その点は、自然に存在するものと同じく無言だった。7月29日に生まれ、熊本地震の2016年7月14日に逝去した。宝積を言葉にしなかった妻は、その点では言葉を発しない自然と同じ存在であったと思う。となると自然が語るとは、「宝積に生きる、妻の姿」なのかと考えてみる。

     七月に生まれ七月還り逝く

 

熊本教育ネットワークユニオン M

 

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