陰性ははっきりしたけれど
幼いころ花がきれいとは思わなく、闇は怖いと思っていた。菜の花は黄色、桜はピンク、菊は白。花の色は認めるだけなのに、闇は黒を認めるだけでなく怖さもあった。その怖いものの一つは幽霊だった。闇のなかには幽霊がひそんでいて、出会うのではないかと。実際はあったことはなかったが。闇には怖さだけでなく驚きもおかしさも楽しさもあるはずだけど怖さが強い。
今全世界をコロナという闇が覆っている。感染するということのみは明らかである。かってペストという病気が世界を襲ったらしく、またそれと同じように死者が地上を覆い尽くすのではないかという恐怖が、その闇の中に潜み、不明さの中で、人のつながりが断たれている。
マスクしているか、ワクチン打ったのか。
・・・いや、マスクで入ってくるはコロナをシャットアウトできないと厚生労働省のホームページにある。感染している人がマスクすればコロナを飛ばさないようにはできるようだ。つまり感染している人にマスクをしてもらうのはありだが、感染してない人はマスクはいらないのだ。なのに感染してるのか分からないからと、感染していると仮定してマスクが求められている。いや勝手に感染していると決めるなよと言いたいが、不明なら恐怖の前には通用しないようだ。
ここでの問題は、「感染してるかどうかが明確でないこと」ではないか。感染してるなら、マスクをしてもらいたいし、治療がいるし、感染してなければ、マスクも治療もいらない。
明らかでないことが困ると思ってたら、街中でも検査ができるようになり、陰性の結果をもらった。さあこれで、マスクはいらないとはっきりした。堂々とマスク無しできると思う。だが、お前なんでマスクしてないのかという視線が向けられたら、耐えられる心臓を作らないとといけないかなあ。いやそういう視線を想像することが、闇の怖さを生み出したものから解放されてないことかとも思う。