熊本教育ネットワークユニオン

活動の報告と相談の窓口です。またブログ担当者の学習の跡でもあります。過去の記事をご覧になるときは下のメニュー欄をクリックください

MENU

裸足と靴下

裸足と靴下

 

 2月末頃、安価な冬用靴下を2足購入した。使っている靴下に穴がよく空く。冬に必ず靴下を履くようになったことが大きいと思う。寝るとき以外は一日中になった。それに、いつの間にか冬はネクタイをするようになった。年中ノーネクタイで裸足だったが、すっかり寒さに弱くなってしまった。

 

 小さい頃は冬に靴下やズボン下を履いていたように思う。何故かしら小学生の頃からいつも裸足になっていた。そのまま靴を履いたり、学校を上履き無しで歩いていた。それは中学・高校でも素足に靴で自転車通学した。木造校舎の板張りの床を年中裸足で過ごす同志が数人いたように思う。ふきっさらしの弓道場でも裸足。冬でも学生服の下はランニングとシャツだけで過ごした。修学旅行でのクラス集合写真ではダスターコートを着ていなかったのは、私ともう1人だけだった。

 大学時代は、特別の場合以外は突っ掛け(草履)で過ごした。高校弓道では今と違って試合でもズボンにトレーナーだったが、裸足でも何も言われなかった。さすがに大学では袴なのでそうはいかない。練習時は裸足でも試合や昇段審査の時は白足袋であった。

 教員になって20代の天草・人吉。上履きはもちろん使ったが、外では突っ掛けスタイルのままだった。人吉の厳冬の朝、自転車で一時停止して道路に着いた裸足を目の前にいた警察官に笑われた気がした。

 30代の小国では踵が覆われた穴あきの健康サンダルにした。極寒や積雪の中でもセータ姿に裸足であった。そのとき同勤した方に特別臨採の学校で再会したら、靴下を見て「どうしたんですか?」と言われた。

 30年くらい前から通勤時は黒靴で靴下を履くが、学校に来たら脱いで上履きスリッパとした。定年前くらいから、裸足では冬耐えられなくなり靴下をよく履くようになった。今思うと何で裸足を通したのかよく分からない。やせ我慢することに自己陶酔していたのだろうか。

 

 3月8日、現金会員であるガソリンスタンドに灯油1缶買いに行った。灯油の値段も高くなっているが、ガソリン価格は日に日に上がっている。今後もウクライナ情勢の緊迫化でいろいろなものが値上がりするだろう。

 3月9日、高校の弓道部の14学年上の先輩が亡くなられたと連絡を受けた。半世紀以上前、自営業の傍ら毎日のように弓道場にいらしていろいろと教えていただいた。夕方、通夜に伺った。高校の弓道大会やOB会でお会いするくらいだったが、すがすがしい笑顔の遺影と対面するとぐっと来るものがあった。コロナ禍で焼香だけとなったが、棺の中のお顔を拝見できた。

 テレビの報道で、ウクライナの人々の様子がよく出てくる。マスクをしている人はほとんどいない。欧米のコロナに対する考え方の違いもあるだろうが、ただでさえ厳しい環境の中で特に老人や幼い子どもが心配だ。

 自国民を情報統制し、民間と他国のメディアを排除しているロシア。西側とはいえ第3国のメディアも現地報道し、一般人が生々しい発信をしているウクライナ。どちらの情報が信じられるかは自明である。民間人は対象ではないとしながら、「人間の盾」と非難して攻撃している。それを命令し実行しているその神経が分からない。その不条理が戦争なのか。

 

 そして3月11日。11年前勤務校の職員室で先生方と見た生中継。迫る津波と海岸道路を走るトラック。どうなったかは分からなかったが、ハラハラとしたことを覚えている。生と死に対していろいろな思いを抱く近頃である。

 

(熊本教育ネットワークユニオン true myself)