熊本教育ネットワークユニオン

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叡知と狂気のはざまで

     叡知と狂気のはざまで
 
        (1)
宇宙の統治者が与え給ふた叡知と狂気は
今もこの惑星のすべての生命体の
未来と破滅の間で
細く頼りない天秤棒を揺らし続ける

        (2)
    再びあの日へ。すべてが想像を絶した。人為が遠く及ばない圧倒的な力であった。大地の揺れも波の力も桁外れで、テレビが流す映像は見る者から言葉と理性を奪った。それはまるで強大な嵐が小鳥を翻弄する姿であった。屈強な大男が鉄の拳で幼児の頬を一打ちする姿であった。我々はただただ驚嘆し、自然の威力の前にひれ伏すしかないことを知った。
    一体どうしたというのだ。これが現実なのか。これぞ人知を嘲笑う自然の底力だと言わんばかりである。人が営々と築き上げてきたものが無惨に壊れ去ってしまう。さながらジオラマを見ているかのようだ。そして正気に戻ったら、一帯は原爆が落とされたかと見紛うような、空虚な広がりが残るのであった。
    地震津波、国民に求められる対応はそれだけで十分すぎるのに、何と原発の爆発、放射能漏れまで加わってきた。最も恐れていたことが現実となってきたのだ。あまりにも厄介すぎやしないか。 
       (3)
    宇宙に秘められた可能性の拡大を求めて、人類は輝く天体の謎に挑んできた。また微小な物質のアトムの中に妖しい光を見出だした。何という叡知だろうか。原子の力を人類は誤って使い始めたが、やがてそれは「平和利用」という響きのいい言葉に変えられていく。自然界には存在しない物質まで作り出すなど、まさに神の領域にさえ踏み込もうとしたのだ。しかし人類はプロメテウスほどの先の見透しを立てることができなかった。神々しいまでの恩恵に心を奪われ、暴れる火をどう始末してよいかを学ばなかった。多くのものを未解決のままに、魔力に飛びついてしまったのである。パスカルの言葉を思い出す。「人間の小さなことに対する感じやすさと大きなことに対する無感覚は、奇妙な転倒のしるしである。」
    3・11とはそもそも、人が謙虚さを学ぶべき天災の日であった。それに未熟な人災を重ねてしまったのだ。この上更に、戦争という舞台で、三たび我々は無思慮な愚行を上塗りするのだろうか。

(一部、当時の記録を参考にしました。この記事を投稿した直後、宮城、福島地方で震度6強の地震が発生しました。実にびっくりしています❗️   被害が最小限に留まりますよう祈念します。      熊本ネットワークユニオン  S    )

 

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