熊本教育ネットワークユニオン

活動の報告と相談の窓口です。またブログ担当者の学習の跡でもあります。過去の記事をご覧になるときは下のメニュー欄をクリックください

MENU

春はとりとめもなく…

春はとりとめもなく…

    前々夜の嵐を耐え抜いて、木々が白の衣装を纏い始めた。枝垂れ桜の花びらの下で子どもたちが遊具に歓声を上げる。儚さを知るがゆえに、今のいのちの輝きがまぶしい。

    田園地帯を歩いてみる。こちらでは菜の花が満開だ。青い空から、雲雀らがヴィオラのような音色を降り落としている。水路では、力を取り戻した野の鯉が人影に驚いて、勢いよく水を切っていく。平和とは、空と土と水と空気に満ちるものである。

    ふと、マウリポリという言葉が浮かぶ。戦争がなければ知るはずもなかったウクライナの小都市の名が、この頃耳について離れない。マウリポリ、マウリポリと二度呟いてみる。その空にはミサイルが飛び交っていないか。その土の上には瓦礫が崩れ、兵士が斃れていないか。空中には黒煙が上がっていないか。この町はやがて、「ゲルニカ重慶、マウリポリ」と、歴史上最も苛酷な空爆に晒された町として、世界史に刻まれるのではなかろうか。

    そうだ、プーチンに桜の苗木を送ろう。聞けば、ソ連邦崩壊以後、彼の脳裏には常に大ロシアの復活と西側に対する怨念があったというではないか。いや、クレムリンの土に桜は咲かないかもしれない。ならば、それに代わる草花の種でもよい。爆弾が好きなこの男に、続々と、延々と世界中から届けよう、「いのち」を育む花の種を。そしてこの男の住む宮殿の隅から隅まで、花園で飾ってやろう。細くとも健気に生きる「いのち」がそこにあることを、知らしめてやろうではないか。

    おおそこに野蒜(のびる)が見えている。今夜はこれを食卓にのせよう。

    **********

    とりとめのない春の物思いでした。自作の俳句2句で終わります。

        咲き初めて散り際思ふ桜かな

        野蒜摘む昭和も遠くなりにけり 

(熊本教育ネットワークユニオン・S)