熊本教育ネットワークユニオン

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2ヶ月ぶり

2ヶ月ぶり

 春休み、2ヶ月ぶりくらいで床屋(理容店)に行った。60数年同じところにしか行ったことがない。小さいときに近くの銭湯の横にあった床屋に何回か連れて行かれたような気がするが、小学校以来他のところには行った記憶は無い。父もずっと通っていた。生まれ育った家から歩いて5分くらいかかっただろうか。店主は私より6学年くらい上だが、その先代からお世話になっている。

 以前の店は、5席くらいあって割に広かった。待合席も6人くらい座れた。50年以上前は、先代と跡継ぎの現店主それに修行の従業員の方が数人必ずおられた男の従業員で洗髪の時もマッサージの時も皮膚が痛いほどに力強く効いたことが印象に残っている。先代も引退され従業員の方もだんだん少なくなった。妊娠してお腹が大きい元従業員の方や娘さんが手伝っておられたが、ついには店主夫妻だけになられた。

 高校生になるとき、「高校生らしい髪型にして下さい」と言った。その髪型から基本的に変わっていない。何も言わず座るだけ。「短めにして下さい」と何回か言ったことがあるくらいである。

 福岡での大学時代も長期の休みで帰省したときに行った。それ以外は伸ばし放題。帰省したら家族からその風貌の変わりようにビックリされたこともあった。一度同級生にカミソリの刃が入ったレザーカッターで髪の毛を削いでもらった。ひどかったので床屋に行くように勧められたが、そのままにしておいた。帰省したとき店主から言われた。「こりゃ、どうしたんですか?」と。ひげ剃りや顔剃りも大学生になってからだろうか。

 教員になって郡部に勤務したときも帰省したときにしか散髪しなかった。二十歳のときに実家は移転し、のちに近くに家を建てた。それから車で10分くらいかけて行っている。髪の毛はどんどん細く少なく白髪だらけになり、地肌がすぐに透けて見える。若い頃すきバサミで上の髪を減らしていたが、この20年ほどはされなくなった。横と後ろだけ切る感じ。以前は櫛で分け目をきちん入れてからドライヤーでのセットだったが、今はヘアブラシでのみである。

 年6回ほど行くが、毎度世間話をずっとしている。学校の話も。昔は何回か「先生たちはよかですなあ。夏休みなんかがあって・・・・。」と言われた。「休みでも、学校に行ってすることはあっとですよ。」とか返したと思う。とは言え、30年以上前は生徒も教員も今よりのんびりして余裕がある時が多かった。この20年以上は言われたことが無い。教職が過酷だというイメージが定着したせいなのだろう。

 熊本地震で店はほぼ全壊した。隣のマンションに転居し、夫婦でプレハブでの営業を続けられた。跡地に建蔽率の関係もあって2席のこぢんまりした住宅兼理容店を新築された。お二人が続けられる限り通うことになるだろう。

 この春休みは例年以上に桜をよく見た。散歩の途中にいくつかの公園で、咲き始めから満開、そして花が散り葉桜になっていく様を目にしている。市房ダムにも見に行った。途中に寄った山江村の丸岡公園も見事だった。ダム湖から10km少々で白水吊り橋と道案内があった。狭い道を登ったが、すれ違った車はない。駐車場にも車なし、誰1人いない。あとから車が1台来たのみであった。鋼鉄製の100m以上の長い吊り橋が2つあり、その間の道にはトンネルまで通してあった。観光用に作ったのだろうが、建設費や維持費は相当かかっているだろうに人は来るのだろうかなどとついつい思ってしまった。

 そんな浮かれた気分がなんだか後ろめたくなるようになるのが、ウクライナ情勢である。400万人以上の国外への避難民が出ている。外国メディアも現地に入って、連日その惨状を伝えている。この期に及んでも、ロシアの政府や軍部は言う。民間人を攻撃の対象としていない。ねつ造だ。フェイクだ。また、8割以上の国民はこの侵攻を支持しているという。報道のあり方でこうも違うのか。呆れてしまう。

 チェチェンパレスチナ・・・・・などでの戦争(紛争)。シリア、ベネズエラ・・・・・などの難民。よく知らない。知ろうとしなかった。報道量も今回より相当少なかった。日本を含めた諸外国の対応も今回ほど積極的ではなかった。様々な力関係や利害関係があるのだろうが、非欧米・非白人に対しては薄情だと思う。傍観するだけで心苦しい気もするが、今までより関心を持ち続けていきたい。

 来週から授業が始まる。節目となるこの1年をなんとか乗り切っていきたい。

(熊本教育ネットワークユニオン true myself)