熊本教育ネットワークユニオン

活動の報告と相談の窓口です。またブログ担当者の学習の跡でもあります。過去の記事をご覧になるときは下のメニュー欄をクリックください

MENU

倉庫から出てきた「沖縄に関する講演の記録」⑥ 【琉歌 その3】

倉庫から出てきた「沖縄に関する講演の記録」⑥ 【琉歌 その3】

     25年前に、高教組菊鹿地区本部が主催する夏の地区教育研究集会で石川眞昭(安仁屋眞昭)さんを講師に迎え講演していただいた記録である。記録を残し石川様に印刷の許可を得る作業中に本当に「お蔵入り」してしまっていた。このブログを借り何回かに分け掲載したい。尚、テープをおこした文章であり、これ関する責任は編集者にある。

熊本高教組菊鹿地区本部の教育研究集会

   講演  九州芸術工科大学(当時)  石川眞昭(安仁屋眞昭)さん

       現在は宜野湾市におすまいです。

 

【琉歌 その3】

 私の郷里が宜野湾市です。今話題にある普天間飛行場なんですが、その昔天間飛行場で高校二年の時まで、両親の農地があり、農業で生計を立てていました。ほとんどの人がそうなんだったんです。普天間基地は滑走路が一本あって、基地ではありましたが、周囲は今のような広大な基地ではありません。昭和32年まで農業していたのが、結局はその後アメリカの都合で基地化され、全部今は普天間飛行場になったわけです。そのちょっと前、皆さん覚えていらっしゃるかどうか、諌浜という所があるわけです。これも宜野湾市なんですが、普天間飛行場とは離れ、海側にあるんですが、ここに30世帯近くありますが、昭和30年自分の土地であり屋敷であるところに住んでいたんですが、そこを米軍は基地に都合がいいと言うことで、そこを、住民の意思も何も聞かず、強制的に接収したんです。その時の闘争がありますが、住民は自分のうちですから、農地なら農作物の被害ですが、自分の住んでいる家を目の前で壊されているんです。それに抵抗し、座っていたら、拳銃とブルドーザーで有無をいわさずというように。基地を接収するときは法律も何もない訳です。

その土地が5月15日以降地主が契約しなかったということで空白状態になると言うことで国会議員さんたちは法律を作りました。それでは接収するときはどうだったかというと、ほとんどの議員さんたちはそのことを知らないと思います。あるいは知っているとしたら、これは結局はアメリカにおもねる形でしかあの法律を成立させていないわけです。

 もっとも橋本総理がアメリカに行く前のおみやげ的な成立のさせかたであったわけですが、法律の中身は大変な中身です。

そういう意味で私はこの戒めのことば「我が身ちる見ちる人の上や知ゆる 無理するな浮世 情びけーい」の歌の意味を法律を成立させた議員さんに知って欲しいと言う気がします。沖縄にはこのように文化として八八八六の琉歌があります。

(つづく)次回は【琉歌 その4】です。

【関連】5月23日の10時から『カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「声でつづる昭和人物史~大田昌秀」1』https://www4.nhk.or.jp/P1890/x/2022-05-23/06/69672/3658572/    があり、運転中に聴いた。(ラジオ深夜便「本土復帰40年 明日の沖縄を信じて」(1) 平成24年5月15日放送) の再放送である。 聞き手は村島章惠アナウンサー。

 大田昌秀さんの話は10年前、安仁屋さんの講演は25年前であるが、比較して、基地をめぐる現状がほとんど変わっていないことを確認することができた。

 ▶︎私たちの組合はひとりでも加入できます。▶︎教育と関係ある仕事であったらなんでも相談してください。問題解決には実績と自信があります。▶ご家族の相談でもよいです。▶「教える」仕事をしていなくとも加入できます。▶左と関係なく、困りごとがあられたらどなたでもご相談ください。適切な労働組合を紹介いたします。◆連絡先:熊本市中央区水前寺1-33-18 熊本県高等学校教職員組合気付熊本教育ネットワークユニオン宛(☎096-382-1133)