熊本教育ネットワークユニオン

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倉庫から出てきた「沖縄に関する講演の記録」⑧ 【古典舞踊・三線】

倉庫から出てきた「沖縄に関する講演の記録」⑧ 【古典舞踊・三線

     25年前に、高教組菊鹿地区本部が主催する夏の地区教育研究集会で石川眞昭(安仁屋眞昭)さんを講師に迎え講演していただいた記録である。記録を残し石川様に印刷の許可を得る作業中に本当に「お蔵入り」してしまっていた。このブログを借り何回かに分け掲載したい。尚、テープをおこした文章であり、これ関する責任は編集者にある。

熊本高教組菊鹿地区本部の教育研究集会

   講演  九州芸術工科大学(当時)  石川眞昭(安仁屋眞昭)さん

       現在は宜野湾市におすまいです。

【古典舞踊・三線

 もう一つ、沖縄文化では古典舞踊・三線が大変盛んでございますが、沖縄の方では、先ほど武器を捨ててと言いましたが、今から500年ほど前、尚真王という方の時代に武器を捨てて、官に登用するときに、三線か踊りを教養を持つ条件として励んだと言っことです。沖縄の方では一般の方より、首里の大名家の子弟の方が三線・古典舞踊に励まれたと言うことです。もっとも、琉球国の国王が変わるたびに中国から冊封使が来ます。これは、琉球国王を中国の皇帝が任命するという形式をとっているのです。そして、その時王冠を持ってきたと言うことです。そこで、この冊封使の船を御冠船と呼んでいました。その時に冊封使を歓待するときに沖縄の方で古典舞踊を始め歓待をしたそうです。その時の踊りが「かんせぬずい」といわれ、沖縄の宮廷舞踊は全てこれで、その時は女の人は踊ることはありません。全て男だけです。沖縄の踊りは元は男だけなんです。今の日本の歌舞伎は男だけですが・・。ということは 貴族・大名の教養として三線・古典舞踊を習って、御冠船の歓待の劇に出ることは大変名誉なことでした。皆さんは時々、びんがた衣装を付けての踊りをテレビでご覧になられると思いますが、あの踊りは全部男の踊りなんです。仕草は女の仕草もありますが、全て男の踊りであったわけです。戦後になって女の方の舞踊が盛んになっているわけです。戦前でも、だいたい古典舞踊は男が踊っていたわけです。本土の方で大名の子弟が踊りを踊っていたということはなかったと思います。能楽は趣味のある大名家の人は踊ったでしょうが、普通の踊りは本土の方ではなかったと思います。沖縄の場合はそう言う意味で武器を捨てて古典舞踊あるいは古典音楽が今盛んになっているのもそのような素地があったということでございます。

( つづく 次回は【「命ぞ宝(ヌチドゥタカラ)」】です。)

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