熊本教育ネットワークユニオン

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印象派との出会い

 5月下旬に県立美術館に妻の発案で一緒に行った。「印象派との出会い~モネ、ピカソから黒田清輝、フジタまで~」を鑑賞した。久しぶりの二の丸公園。私が中学生くらいまでは第二高校の黒い木造校舎があった。戦後の学生急増のため、医大移転後の跡地を利用して開校したと聞く。私が小さい頃、第一高校は上通り近くの藪内(今のホテルキャッスルあたり)にあった。父が勤めていたので、付いて行った時の古い木造校舎の記憶がある。古城に移転した新校舎にも行ったことがある。その頃は門に守衛さんがおられたので、緊張して名乗ったように思う。

 相変わらず二の丸公園は広い。木陰にいる人、芝生で遊ぶ人、修学旅行生の一団もいる。県立美術館は何年ぶりだろうか。妻は、説明文を全部じっくり読んで鑑賞している。私の方が見るペースがいつも早い。一度見終わってから、また最初の方の作品から素早く見直す。いつも最後は椅子に座って待っている。

 今までにはなかったが、今回の作品展では撮影可とされているものが半分以上あった。カメラもスマホも持参せずに残念であった。ときどき、撮影不可のものを撮ろうとして係員から注意を受けている人もいた

 

 いつかは思い出せないが、随分昔に母に付いて福岡にルノアール展に行った。そのときに手に入れた少女の絵のポスターが気に入って、ずっと部屋に貼っていた。印象派の絵は分かりやすく見やすい感じがする。それぞれに個性的だとは思うが、フォービズムだ、キュビズムだと言われても何かピンとこない。写実から感覚的なものに移っていったのだろうくらいの感じでしかない。

 今回のルノアールの作品の中に裸婦の絵とブロンズ像があった。いずれも肉付きが良くて、特にブロンズ像は土偶を思い起こしてしまった。自分勝手に縄文時代の日本と1900年代初めくらいのヨーロッパに共通する美意識があったのかもしれないと思うとなんだかおもしろい。

 

 レオナール・フジタ(藤田嗣治)を知るようになったのは、多分テレビ番組の「なんでも鑑定団」で見てからだと思う。日本画の技法を取り入れた独特の油彩画とともにその風貌が印象に残った。この作品展の中で画家の顔がすぐに浮かぶのは彼とピカソくらいだろう。ルノアール、ミレー、マネ、モネなども顔が浮かばない。銘がなかったら、作品も見分けられないだろう。

 「鑑定団」に出てくる美術・骨董品の真贋や売買価格などは本当に分かりにくい。西洋画、日本画、彫刻、西洋アンティーク、おもちゃ、書や古文書、サイン、スポーツ用品・・・・・。絵画は本物の画像と見比べると贋作が分かることもあるが、陶磁器は全く分からない。こんなものがこんなに高いのかと思うことがよくある。美術・骨董品に家1軒分は使ったという話も出てくる。ものによっては箱の有る無しで価格が随分違う。演出かもしれないが、審美眼に絶対の自信を持った方ほど贋作と判定されることが多いようだ。週2回放送されているが、再放送でこれは見たなと思っても真贋を忘れていることも多い。妻から「何でも忘れてしまうとだから、何回見ても一緒たい」と言われるが、紹介ビデオや専門家の解説によって多くの美術作品や作者を知ることができた。

 

 先日、今年度来られた講師の方が大学の同級生であることが2ヶ月経って分かった。準備室で2人の先生とその方の話になり、姓や教科などを聞いて突如記憶にひっかかるものがあった。下の名前を確認して家で卒業アルバムを見たら、確かに載っている。翌日職員室に行って挨拶をしたら、向こうも思い出された。年上で専攻教科も違ったが、同じ講義を受けたこともあり、教員になってからも会ったことがあるように思う。コロナ禍でマスクをしている上に職員室には時々しか行かない。更に、お互い年取って容貌も変わっている。いやはや、頭も衰えてきているとはいえ思いがけないことであった。

 

 昨日、新型コロナワクチンの4回目の接種券が届いた。学校に勤めているからには用心しておこうと早速予約した。3回接種した同じ病院で土曜日に予約しようとしたら、妻が土曜日に接種したときは人が多かったと聞いた。そこで慎重になって、7月上旬の授業の空き日に予約できた。コロナへの接し方はどんなところに落ち着いていくのだろうか。

 

(熊本教育ネットワークユニオン true myself)