熊本教育ネットワークユニオン

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「法要」顛末記

「法要」顛末記

 6月23日は「沖縄慰霊の日」だ。同時に母の祥月命日で、今年は七回忌だった。6年前、熊本地震の混乱の中で実施されていた参議院選挙闘争の最中に、入院中の病院から「脈拍が少なくなっているから、身内の方にお集まりいただいた方が・・・」との連絡が入った。選挙ハガキの束を数えていた私は、すっとんで病院へ行った。一晩病院に泊まって、着替えに帰宅したわずかな間に母は逝ってしまっていた。その、ほぼ一ヶ月前、柴犬「太郎」も、外出先からの帰宅途中に亡くなっていたので、「またか」と悔やんだ。

 七回忌は、父の二十三回忌も兼ねて檀那寺で供養していただいた。我が家での月命日の読経の際は、経本を「黙読」しているだけだが、回忌なので勧めに従って、住職と一緒に(小声で)読経し、帰宅後、なぜか連れ合いから「えらいえらい」と褒められた。市内の料亭でお昼(お斎)を一緒に食べながら久しぶりの歓談を済ませ解散した後、準備していた「引き物」を渡すのを忘れていたことに気づいた。天草の自宅に向けて走り出していた弟の車に、即、ストップをかけ、追いついて渡す。次いで東区の姉のマンションを訪ね、不在の405号「M」の表札を確かめて品物を置いて帰宅した。ところが、正しくは402号室の「M」だった。姉に管理人室などを回ってもらって、無事引き渡せたようだが、珍しく読経したことも含めて、何とも「加齢」を感じさせられた回忌日だった。

 一日を終えて連れ合いが、「兄弟姉妹、こんな事が無いと、なかなか会えなくなったね。今度はお義母さんの十三回忌かな。」と言うので、「そのときは僕の三回忌も一緒かもしれん。」と言ったら叱られた。

 ちなみに、毎月、我が家で読経してくれる「住職の息子」さんはその日、若手のお坊さんが集まって「慰霊の法要」で沖縄に行っていたそうだ。平和を求めて、宗教界もがんばっている。

 (とらうと)