熊本教育ネットワークユニオン

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二胡の発表会がある

ニ胡の発表会がある。
12時集合なので、11時まで、テニスができる。何ヵ月前からか忘れるほど(年のせいもあるか)前から、練習してきた。

今でも、音を外さないようにするのが、第一の課題である。フリースペースの弦の440ヘルツの一点を押さえなければ、少しずれたら、ラの音でなくなる。(とは言え、その違いを確認できるかという感覚も求められるが)なので、チューナーを見ながら音外れてないか、確認しながら演奏する。
これまで楽譜は見ない暗譜で、左手の位置の確認を主として練習してきた。

40脚ほどのいすが客席に並べられている。発表生18名と、(暇をもてあまし時間つぶしか、発表生から無理に強制されたか、)応援の人数人。
先生方と都合30数人の聴衆の前に、高さ40センチはあるかの舞台に、左手にピアノ、中央に譜面台と椅子が置かれている。

最初に制服の高校生が演奏した。すこし弓が滑らかでないところがあり、やはり難しいのだと思った。この音(弦のすべり)の滑らかでないのは、どの演奏者にも感じられる。音の確定だけでなく、弓の弦への接しかたにも、てこずる。

私は「ひまわり」を演奏した。
ひまわり畑の感動とウクライナの戦争が終われとの願いをこめて演奏したかった。(戦争は殺しあいでしかない)

前半の演奏後の休憩も終わり私の番になった。緊張してピアノの伴奏に続いて演奏にはいった。安心のために楽譜を見ながら演奏していた。
えっ、シとラの間に休符がない。暗譜していたのに。違ってる。頭がとんだ。
演奏できなくなり、焦る。弓はとまり、演奏は止まった。

だが、ピアノの伴奏が続いていた。それに助けられて、繰り返しのリピートからまた、演奏に戻った。
だが、もはや、思いを表現するどころではなく、ただ楽譜を追い音をだすばかり。なのに、マイクを通した音が聴こえた。なぜか?。
演奏が終わり落ち込んで礼するのもそぞろに、舞台から降りると、そでで、椅子のセッティングなどする人が拍手をしてくれる。失敗したので、慰めの拍手と思いながら、ありがとうございます。と言って客席にかえる。

これまでよく指導してくださった先生に、無様で申し訳なく、「ダメでした」と言うと、先生は意外にも「いや、伝わりました。今までで、一番よかったですよ」と言われる。どうも単になぐさめだけではなさそうだ。不思議。

会場を出たら、同じように演奏した人が来て、「ひまわりを演奏された方でしょう。よかったです、心にジーンと、きました」と言ってくださり、嬉しくなった。

曲の途中ピアノの伴奏だけで、ニ胡は休み演奏しない時がある。私が焦って弾けなかったところも、ニ胡は休みと受け止めてくださったのかと、考えることにして、まあ、演奏なんとかできたと思うことにしたら、次の発表目覚め会を楽しみにする、変わり身であった。
ウクライナの戦争なくなれ。早く停戦してほしい。
戦争は殺しあいでしかなく、逃げるしかない。誰かが、守ってくれると思う人が、自分は守ってもらえるとの幻想。それは殺しあいを、あおるだけである。