熊本教育ネットワークユニオン

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「・・・と思っていて」は変だと「思っていて」

「・・・と思っていて」は変だと「思っていて」

 

 「・・・と思っています。」と断定せずに、「・・・と思っていて、・・・」という表現が始まったのはいつからだろうか。初めてこの表現と出会ったのは、今から七年前、安保法制反対で国会周辺を幾重にも取り巻いた「SEALDs(シ-ルズ)」の若者たちの言葉だった。折から熊本では、全国に先駆けて参議院選挙を野党統一候補で戦う体制が出来上がっていて、当時の山口二郞先生たち「市民連合」が熊本にオルグに入り、随行していたSEALDsのメンバーがこの言葉を発したのだった。そのときは、何かむずむずする嫌な表現だなあとは思ったものの、そのうち消える「若者言葉」だと、深く考えることはしなかった。それより何より安保法制反対と選挙で忙しかった。

    しかし、最近はあちこちでこの表現が聞かれる。テレ朝「羽鳥慎一モーニングショー」の水曜日コメンテーターである浜田敬子氏(元AELA編集長)まで「・・・と思っていて、・・・」とやるに至っては、「何だこれは?」と考えざるを得ない。

多分、日本人特有の「婉曲表現」の一種だと思われる。「断定することを避け、なるべく柔らかく相手を傷つけない」婉曲表現。この「・・・と思っていて」は「思っています!」のように断定することを避け、「よくよく考えて私はそのように思ってはいますが、それは私の考えであってあなた方に強制しようとは思っていないんです」といった意味合いのように(この「のように」も婉曲表現)思われる。

 

    「最近耳にした『トカ弁』のすばらしい用法に、こういうのがあった。あるテレビコマーシャルで、若い夫婦が、久しぶりに温泉旅行に出かけるという設定だ。浴衣に着替えてちょっと距離を置きながら歩く二人。とても照れくさそうだ。いかにも『恋人同士だった時代からはずいぶん時間がたっているのだろうなあ』と思わせる風情である。そのとき、少し前を行く妻の方が、くるっと振り返り、恥ずかしさと茶目っ気のこもった言い方でひとこと『ねえ、手とかつないでみる?』

もちろん、『手』以外につなぐものはない。が、『手をつなぎましょ』というのでは、なんだかあからさますぎる。『手』と言った瞬間にわき上がる照れくささを『とか』が見事に受けてくれる。『あの、その、たとえば』といったニュアンスもここにはある。ただし、あくまで私の提案は『手』であることも、しっかりと伝えてはいる。『手をつないだりとか』というのとは違うのだ。」

俵万智「言葉の虫めがね」の「1、トカ弁・・・婉曲表現の現在」より抜粋)

 

 「トカ弁」とは、俵万智氏によると「パリとかロンドンとか」という並列の用法ではなく、「昨日学校の帰りにケーキとか食べて」のようにケーキしか食べていなくても言う、婉曲表現の一種のこと。

 

    婉曲表現は奥深い。

 

(2022年12月25日)