武州丸(ぶしゅうまる)
きゅうがめーら(徳之島の方言で「こんにちは」)
徳之島ってどこにあるか知っていますか?
私は人事異動で離島を希望するまでは、奄美群島の島々のことを詳しく知りませんでした。奄美群島は、鹿児島の南方380キロメートル~580キロメートルの海上に点在する8つの有人島(奄美大島、加計呂麻島、与路島、請島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島)から成り立っています。
徳之島は、徳之島町、伊仙町、天城町の3町があります。その徳之島町亀徳にあるなごみの岬公園に武州丸慰霊碑があります。
昭和19年9月のことです。徳之島には1万人ほどの兵隊が配属され、食料が不足したことや島での戦闘が近いこともあり、国の命令で子どもたちは、本土に疎開させることになりました。武州丸も亀徳(かめとく)や井之川(いのかわ)の年寄りや子どもたち152名を乗せて亀徳港を出港し、古仁屋(こにや)を経由して鹿児島を目指しました。「行きたくない。」と言って泣く子どもたちを𠮟りつけるようにして乗せたと言います。途中の海にはアメリカの潜水艦がうようよいましたが、親たちもまだ島にいるよりも安全だと思っていたようです。「明日は、鹿児島に着く。」とようやくホッとしかけたころ、武州丸は魚雷を受けました。あっという間に沈んだそうです。時々潜水艦の潜望鏡が見えたと言いますから、ずっと武州丸の船団を追いかけていたのでしょう。徳之島町亀徳、井之川、山、母間集落の子ども住人148人が犠牲になりました。生後1年未満の赤ちゃんも5人いたそうです。この事件は公表されず、戦後になっても国からの補償はありませんでした。
「徳之島町ホームページより引用」
私が赴任していた学校の校区に、なごみの岬公園はあります。子どもたちと訪れ、また島内有志でつくる武州丸と平和を考える会の方の協力も得て、武州丸について学びました。
毎年9月には武州丸と平和を考える会が主催し、慰霊碑前で犠牲者を慰霊する「平和の夕べ」が行われています。
徳之島の天城町には戦時中徳之島陸軍浅間飛行場があり、戦争末期には神風特攻隊の前線基地として使用されました。戦後はアメリカ軍統治下に置かれ、1953年12月25日に日本に返還されました。
徳之島の海と空の青。波とさとうきびの揺れる音。
明るく陽気な「ワイド!」の声。
おぼらだれん(徳之島の方言で「ありがとう」)
※「ワイド」とは徳之島の方言で「がんばれ」「やった」という意味で徳之島闘牛の掛け声


(熊本教育ネットワークユニオン F )