熊本教育ネットワークユニオン

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はじめての発作

 5月30日 懇親会(8人)栄養たっぷり、アルコールほどほど。5月31日 子ども会の資源物回収のお手伝い。徒歩で公民館。足に少し違和感。午後:庭の草刈り、エンジン式(混合油)「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」の感あるが、汗だくだく。夜、電気屋さんが来られ乾燥機(洗濯物)の修理:ことのほか長くなり、私は2階で仕事。夜遅くなり食事。風呂。

 風呂を上がったら、右足の親指の付け根が激しく痛む。すぐに思い当たった。だってそこが赤くはれている。「痛風」の発作だ。とうとう来たか。若いころ40歳台前から「尿酸値が高い」と言われ、職場の「痛風仲間」と熊本市の有名なS田医院(病院かも)に行っていたが、発作もないのでここ20年以上は薬(確かユリノーム)をやめていた。もちろん特効薬コルヒチン(7員環を持つ有機化合物:チャンスを逃さず飲めば発作を和らげるが副作用もある)もとうに捨てた。

 過去の尿酸値の値は、2004年 7.5 2015年 8.5 2019年 7.9 と7.5~8.5を推移している。尿酸値が 8.0 mg/dL を超えると、いつ激しい痛風発作が起きてもおかしくない危険な状態とか。放置すると関節だけでなく、腎臓の障害(腎機能低下)や尿路結石を引き起こすリスクが高まると言われている。もっと自分の体を自分で守るべきだった。

 本当に「風が吹いても(風が当たっても)痛い」はその通りで、一晩中眠れなかった。3日間は車の運転をひかえ、氷で冷却したり、鎮痛剤を(勝手にWebで調べ)多めに服用したりして安静にしていた。何しろ2週間後の13日は佐世保の平和集会に行って、予定では少ない時間だが(実際は1時間近く歩いた)デモ行進もすることにしている。何とか直さなければと、半月の間、アルコールを切断ち回復に努めた。

 その甲斐あって、佐世保には何とか参加することができた。

 今回の発作を、健康に対する「警告」と受け止め、摂生、治療、運動に励む契機としたい。皆さんも、科学的身体データは正しく読みましょう。何のための健康診断なのかわからないようなことやっている人はご注意を!発作はその名の通り突然やってくる。

 

野の花の歌(短詩の習作3編)

野の花の歌(短詩の習作3編)      (6月25日・木)

   

    (1)

野苺のようなその唇から

ほんのひと言

あなたの言葉が洩れたとき

張りつめた氷の面が

たちまち割れてしまったのです

 

    (2)

 野の道が今日も私を招く。道端のそこかしこに、点々と小さな花が咲いている。花々の命は束の間である。与えられた宿命を背負いつつ、待ち続け耐え続けて、この瞬間を美しく迎えたのに違いない。明日は萎れることを知っている。それゆえに一途に花びらを広げるのだろう。人はたびたび過去をふり返る。あるいはもう一度、夢を見ようとしているのかもしれない。

 野の道は今日も細く長く続く。

 

    (3)

おゝ私の前を永劫のものが横切ってゆく

羨望も悔恨も一息に呑み込んで   

私を悟性と感覚の果てへと導こうとする

 

脆き者よ、壮大無窮の宇宙を包み

永劫の流れを見守る自然の前では

お前もまた儚い花びらに過ぎない

 

私はいずれ不用意に扉を開けてしまうだろう

その時、怒りと悲しみから解き放たれて

私の影は大空を駆けるだろうか

                  ~オウシャン・セイリング~

野の花のコラージュ(初夏)

 

野の花の歌(短詩の習作3編)

野の花の歌(短詩の習作3編)      (6月25日・木)

   

    (1)

野苺のようなその唇から

ほんのひと言

あなたの言葉が洩れたとき

張りつめた氷の面が

たちまち割れてしまったのです

 

    (2)

 野の道が今日も私を招く。道端のそこかしこに、点々と小さな花が咲いている。花々の命は束の間である。与えられた宿命を背負いつつ、待ち続け耐え続けて、この瞬間を美しく迎えたのに違いない。明日は萎れることを知っている。それゆえに一途に花びらを広げるのだろう。人はたびたび過去をふり返る。あるいはもう一度、夢を見ようとしているのかもしれない。

 野の道は今日も細く長く続く。

 

    (3)

おゝ私の前を永劫のものが横切ってゆく

羨望も悔恨も一息に呑み込んで   

私を悟性と感覚の果てへと導こうとする

 

脆き者よ、壮大無窮の宇宙を包み

永劫の流れを見守る自然の前では

お前もまた儚い花びらに過ぎない

 

私はいずれ不用意に扉を開けてしまうだろう

その時、怒りと悲しみから解き放たれて

私の影は大空を駆けるだろうか

                  ~オウシャン・セイリング~

野の花のコラージュ(初夏)

 

野の花の歌(短詩の習作3編)

野の花の歌(短詩の習作3編) 

    (1)

野苺のようなその唇から

ほんのひと言

あなたの言葉が洩れたとき

張りつめた氷の面が

たちまち割れてしまったのです

    (2)

 野の道が今日も私を招く。道端のそこかしこに、点々と小さな花が咲いている。花々の命は束の間である。与えられた宿命を背負いつつ、待ち続け耐え続けて、この瞬間を美しく迎えたのに違いない。明日は萎れることを知っている。それゆえに一途に花びらを広げるのだろう。人はたびたび過去をふり返る。あるいはもう一度、夢を見ようとしているのかもしれない。

 野の道は今日も細く長く続く。

    (3)

おゝ私の前を永劫のものが横切ってゆく

羨望も悔恨も一息に呑み込んで   

私を悟性と感覚の果てへと導こうとする

 

脆き者よ、壮大無窮の宇宙を包み

永劫の流れを見守る自然の前では

お前もまた儚い花びらに過ぎない

 

私はいずれ不用意に扉を開けてしまうだろう

その時、怒りと悲しみから解き放たれて

私の影は大空を駆けるだろうか

            ~オウシャン・セイリング~

野の花のコラージュ(初夏)

 

 ふるやのもり

http://hukumusume.com/douwa/0_6/jap_pc/10/15.htm     ふるやのもり

 「ふるやのもり」と言う子ども向け昔話があります。「じゃあ、オオカミよりこわいもの、なんだ?」「そりゃ、ふるやのもりだ」という話。

小さいとき、なんだか不思議な昔話だお思い記憶に残っている。

 「雨漏り」がとっても恐ろしいというおじいさんとおばあさんの会話。

 今朝の豪雨でうちにも「ふるやのもり」がやってきた。

 やはり恐ろしかった。雨はいつやむのだろう?また、屋根の瓦に乗らなければならない。高所恐怖症の僕は恐ろしい。

 

「天の魚(いを)」を思い出した!~秀島由己男展を観て~

「天の魚(いを)」を思い出した!~秀島由己男展を観て~

 

TVの広告を見て現代美術館の「秀島由己男展」を観にいった。秀島由己男が水俣出身の画家・版画家であること、紹介されていた「彼岸花」のエッチングがひどく精密な作品であるのに興味を持ったからだ。

秀島は1934年水俣市出身。水俣一中卒業後、同中の事務補助職員として勤務しながら美術教師の画塾で水彩画を学び始めた。この画塾で出会ったのが石牟礼道子。1957年には銅版画家で彫刻家の浜田知明と出会い師事。1966年に初の個展「ペンに拠る黒の歌」。1975年、第1回「グラフィック・クリエイティブァ」国際版画トリエンナーレ展で優秀賞受賞。国内外で評価が高まる。1992年三加和町(現和水町)に移住。1998年、石牟礼道子の新聞連載小説「春の城」の挿絵を手がけた。2018年急逝。

入館するとまず、秀島の精密なエッチングの創作風景がビデオで流されていた。ほとんどは葉書大のちいさな作品だがその精密さにまず驚いた。彼岸花に代表される静物だけではなく、人体の描写も田の作品も、エッチングでこれほどにも精密に詳細に描けるのだと感動。

「霊歌」の前で立ち止まった。作品「霊歌」にはAとかBとか多くの作品があったが、その顔はどこかで見た顔・・・そう、随分以前、水俣高校に勤務していた頃、何度か鑑賞した「一人芝居~天の魚(いを)」を演じた砂田明さんがかぶっていた「面」だった。そうか、あれは秀島由己男の作品だったのか、と今頃になって知ったのだった。水俣にいたのに、秀島さんのことなど全く知らなかったし、秀島さんと石牟礼道子さんとの関係についてなど、全くの無知であった。

「天の魚」は「苦界浄土」の第4章。胎児性患者の江津野杢太郎を抱いた爺さまが、杢太郎やあねさん(私=石牟礼道子)に語りかける。水俣弁でゆーったりと。宝焼酎を飲みながら。

 

「杢よい、堪忍せろ。堪忍してくれい。じじもばばも、はよからもう片足は棺にさしこんどるばってん、どげんしても、あきらめて、あの世にゆく気にならんとじゃ。どげんしたろばよかろかね。杢よい。」「杢よい。お前がひとくちでもものがいえれば、爺やんが胸も、ちっとは晴るって、いえんもんかいのい。ひとくちでも」「なんの業じゃろうかいなあ、あねさん。わしゃ、天草から家別れして、親がびんぼで水俣に、百間港のまだ出けとらん時分にきやした。」「あねさん、こいつば抱いてみてくだっせ。軽うござすばい。木で造った仏さんのごたるばい。よだれ垂れ流した仏さまじゃばって、あっはっは、おかしかかい杢よい。爺やんな酔いくろうたごたるねえ。ゆくか。あねさんに。ほおら抱いてもらえ。」(「天の魚」より)

 

砂田明さんはもう随分前に亡くなられたが、この一人芝居で「紀伊國屋演劇賞」を受賞された。学校での上演、地域の公民館での上演そして乙女塚(砂田さんが患者さん達と創建した)でも鑑賞したような・・・。一人芝居を演じた後、砂田さんは詩を詠った

 

起ちなはれ 
                  砂田明

もし 人が 今でも 万物の霊長やというのやったら
こんな酷たらしい毒だらけの世の中 ひっくり返さなあきまへん
なにが文明や

蝶やとんぼや蛍や 
しじみや田螺(たにし)や がんや燕や、
ドジョウやメダカやゲンゴローやイモリや
数も知れん生きもの殺しておいて
首は坐らん目は見えん 耳は聞こえん口きけん 味は分からん手で持てん足で歩けん
― そんな苦しみを
水俣の赤ちゃんに押し付けといて
大腸菌かてすめん海にしてしもて
なにが高度成長や なにがハイテク・
財テク


貧乏がなんどす え 思い出しなはれ
知らん人には 今どきの若い者(もん)には教えてあげなはれ
お芋の葉ァ食べたかて 生きてきたやおへんか
そのかわりに 青い空にはまぶいお陽(ひぃ)さん
せみしぐれの樹陰(こかげ)は風の涼しうて あの緑と
草いきれときれいな川と池と海と・・・・・
そや 昭和二十年敗戦の夏 大阪湾の芦屋の浜で
今はチョコレートみたいな海になってる あの大阪湾で
小っちゃい鯛やら河豚(ふぐ)やら 手でとれた
そんな中で なあ にんげんは ぎょう山(さん)の生類(しょうるい)といっしょに生きておったんやて
教えてあげなはれ ――思い出さんかい


もし あんたが 人やったら
起ちなはれ 戦いなはれ
公害戦争や 
原発戦争やでえ
戦争のきらいなわし等のやる戦争や 人間最後の戦争や 正念場や
勝たな あかん 勝ちぬかな
子どものために 孫のために 生きとし 生けるもののために
そうしてこの自分自身のために 一度しかない人生のために

…・・・負けたら?   
負けたら一巻の終りや 生殺しの毒地獄や
数も知れんほどぎょう山 お仲間の生類殺した霊長はんはなあ そのかわりに
ビニールやら 水銀ヘドロやら 
ダイオキシンやら 核廃棄物やら
数も知れんほどぎょう山のガ
ラクタ残して
この地球から きれいな青い星から
消えてしまうだけのハナシや

 

秀島由己男展から、話があちこちに飛んでしまった。

           (Trout 2026.6.21

時刻に囲まれて

時刻に囲まれて

 

 今も、始業時間に遅刻する夢をたまに見る。家であれこれしているうちに時間が経って間に合わなくなって大概そこで目が覚める。常勤の教諭や臨採の頃はもっと多かった。朝会に出なくて良い非常勤講師になってからも、遅刻なんて関係ない無職の時も時々見ていた。

 その時刻を見るのは壁掛けの丸形アナログ時計のようである。針が進むにつれて、ますます焦っていく。デジタル時計の数字では、時間経過の切迫感が少し薄いのかもしれない。

 

 子どもの頃は振り子式の家庭用柱時計だった。穴が二カ所あって、父が時々カギを使ってゼンマイを巻いていた。時報の音も鳴っていたので「ボンボン時計」でもあった。

 振り子の等時性を利用して、振り子の長さを調整して周期を1往復/秒 つまり振動数は約1 Hzが普通だったようである。

 

 父は腕時計も時々リューズを指で回してゼンマイ巻いていた。金属の輪の中に細いゼンマイを仕込んだテンプが入っている。軸を中心に左右に往復運動するのを何かで見たことがある。

 振動に強く、振り子と同じ等時性があって振動数が高いほど正確さが増すという。ゼンマイの強度などの関係で、1970年代以降は振動数は28,800振動/時のものが標準的だそうだ。換算すると8 Hz(8振動/秒)である。

 親から最初に買ってもらった腕時計は、自動巻きだったと思う。腕を振ると、ローターが回転しているのが分かった。それ以来、腕時計を何個か使ってきた。

 

 針や日付表示などを動かしている内部機構をムーブメントと呼ぶが、機械式・クォーツ式・電波式と買い換えてきた。水晶に電圧を加えると、変形が生じて高い精度の周波数を発振するという。それを利用したクォーツ式になってから、精度は向上した。

 

 小型の時計用には32.768kHz(1秒間に2の15乗回振動する値)の水晶振動子が用いられているそうだ。それでも精度は月にプラスマイナス数十秒以内はあるという。

 私も時々、秒針を時報に合わせていた。ずっと年越しの瞬間には、必ずそうしていた。文字盤に小穴や小さな液晶で日付や曜日を表示ものもあった。

 クォーツ式はある日突然電池切れになって、慌てることがあった。何年ぶりかなので、慌てて電池を交換する店を探すことになった。古くなると、電池交換期間が短くなったようだ。電池切れのまま、ひとつ前の時計は残っている。

 

 今付けている腕時計は、いろいろ調べて9年くらい前に通販で購入した電波ソーラー式である。光発電で電池の交換も秒合わせも必要ない。しかし、発電した電気をためておく二次電池には寿命があるという。そろそろ交換や整備それとも買い換えが必要なのだろうか。

 電波式時計の基本はクォーツ式で、標準電波を受信して時刻を補正している。標準電波は地表に沿って伝わる長波で、原子時計を使って正確な時刻などの情報を送信しているという。日本にある送信所は2カ所だが、普段は佐賀の羽金山標準電波送信所から受信していることになる。

 

 原子時計はセシウム原子とその共鳴周波数9,192,631,770Hzのマイクロ波を使っているそうだ。説明を見ても理解できない。その精度は3000万年に1秒ずれる程度までに向上しているという。更に日本発の「光格子時計」は、宇宙の歴史より長い300億年に1秒以下の誤差しか生じないという。ここに至ったら、何のことやらピンと来ない。

 地球の自転による時刻と原子時計による時刻のずれを補正するために、「うるう秒」が実施されるようになった。必要な年だけ不定期に、1秒を挿入または削除するそうだ。

 

 我が家では、置き時計も掛け時計もいつの間にか電波式時計の方が多くなっていた。アナログ式もデジタル式も秒合わせは必要なく、アルカリ電池を数年毎に替えるだけで良い。電池を替えるだけ電波を受信して、そのうちに正しい時刻になっている。アナログ式の普通の時計は、時刻のずれも込みで大体の時刻を見ている。

 デジタル式は日付や曜日、不正確だが温度まで出る。アナログ式は瞬時に時刻が把握できないことがある。それでも両方式の時計があった方が良い。数字だけだと、何だか味気ないように思う。

 

 時計以外にも時刻を表示するものが身のまわりに多くある。そして、ほとんどがデジタル表示である。テレビやPCやスマホなどは電波やネットワークを通して正しい時刻になる。カメラや血圧計などは最初に時刻を合わせたままで、気づいたらかなりずれている。

 自動車の時計はラジオの時報で時々秒合わせをしているので、電波時計なら良いなと思う。金属で囲まれた車内では、長波の標準電波は安定して受信できないのだろうか。

 年を取るにつれて尿意で夜中に必ず起きるようになった。家ではライト付きのデジタル目覚まし時計がある。温泉宿などは客室に時計が無いところが多く、目覚めても時刻が分からないことがある。スマホは夜になったら電源を切っているので、明かりがある所で腕時計を見ることになる。

 

 時刻に囲まれて生活している。授業や添削の日程を気にしながらの日々である。また遅刻の夢も見るのだろう。無職に戻ったら、だんだん見ることも少なくなって、やがて無くなるのだろうか。

 

(熊本教育ネットワークユニオン true myself)

2000万年に1秒と狂わない高精度原子時計