やけ酒とは
やけ酒という言葉は聞くも意味はわからなかった小学生のころ、父から酒を買って来てくれと頼まれた。宝というのを買い、それを眺めているとその瓶に焼酎と書いてある。酎は読めず、焼くは読めた。これか。帰ると、家の近くに父が待っていた。私は「とおちゃん、これがやけ酒かな」父は笑った。近くにいたおばさんも笑った。が、私は意味はわからなかった。そんな自分もいつのまにか、やけ酒飲んだこともある。が、何故かは忘れた。そして、土日だけは酒を飲のんでもよかよとしたのが、1日おきに飲んだり、連日飲んだり、アルコール依存に片足突っ込んでいるのではと心配する歳頃になった。
そして、4月1日。1日月曜日から5日金曜日まで、1.2.3.4.5の5日間!連続で酒を絶った。土曜日にテニスの試合なのだ。
齢60歳が人にはくる。その60歳から上の歳の人たちのスポーツ大会の全国大会がある。ねんりんピックという。つまり県大会があり、それに勝ち抜いた人が高校球児憧れの甲子園のような、会場に立てる。熊本県では、県代表と市代表の2チームが出場できる
万全の準備をしたい。壁打ちをサーブ20本、フォアストローク20バックストローク20スマッシュ20と決め、レベルアップを目指す。風呂も近くの温泉館に行き、電気風呂で疲労した筋肉(とりわけ脹脛と、もも肉)を高圧をかけビリビリするのを我慢した。筋肉の癒やしである。ペア練習もした。コーチからのレッスンも受け縦ロブを一つの攻撃パターンとしてつかんだ。
万全の準備をして、当日を迎えた。ヒライの弁当で、鶏肉、ミンチカツ、ヤキソバと、軽めに(食べ過ぎると胃に血液がいき脳の働きがよくないようだ)しかも力がすぐわくようにと買いこんだ。1-0とまずはゲームとれた。だが、1-1となるとなぜかズルズルとリードされ、あれあれと、1-4。この相手のペアには、練習の時には勝ってるのに、これでは負けるかな。いやそういうわけにはいかない。「挽回しましょう」。2-4となり、ついに6-4でひっくり返した。よし、これで決勝トーナメント進出決定。次の試合は勢いか、なんなく、勝った。
そして決勝。なにかわからないまま1-5。この相手ペアには、私のペアの人が前に対戦して負けている。それは、私とペアではなく他の人とのペアではあるが、負けているという事実は心の奥に沈んでいるであろう。のかプレッシャーがあったのかも。それでも5-5まで挽回して、我々の側のサーブとなった。と気づけば15-40。あと1ポイント取られたら負け。するとセカンドサーブがサービスエース。それで30-40。あと1ポイントでジュース。そして。相手のボールを私がバックボレーしようとしてネットに、ひっかけた。負けた。
悔しくて悔しくて、ペアの人の話しにも答えたくなかった。もうダブルスの試合はせんぞ、と思った。
次の日。負けたままでいいわけはない。来年は余裕で勝つ、と思った。 悔しさを埋めるものはないのか。すると、酒飲まずに5日間いけたのに気づいた。ならば、その日の酒はやけ酒ではない。来年への挑戦のための祝酒であった。(いやもう、話しの流れはこれでよいのだろうか)