熊本教育ネットワークユニオン

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「甲辰 年の初めのブログ初(ぞ)め」

 「甲辰 年の初めのブログ初(ぞ)め」

 

 年の暮れ、西合志メモリアルパークに墓掃除に行った帰りに、黒石の「ポリテクセンター熊本」前の酒屋に寄って、普段は手の出ない正月用の日本酒5合瓶を2本購入した。「また、そんなもん買ってきて」と言われたが、お値段は秘密。

 29日は焼き肉屋「褐火」で家族の忘年会。ここまでは普段通りだったが、翌30日から、めずらしく頭痛・のどの痛みの症状が出はじめた。バファリンで治まる程度だったので病院にも行かなかった。大晦日、目が覚めると何か熱っぽい。体温計を挟んでみると6度9分。某氏から「高熱が出て、インフルエンザだった」というラインがきていたので、この熱ならインフルエンザではないと自己判断。日曜で、当番医を探すのも面倒になり、そのままB錠の世話になっていた。年越し蕎麦は啜ったが、例年、蕎麦と一緒にちょっと舐めて楽しむ「例の酒」は飲まずじまいの早寝だった。

 年が改まって、お節・雑煮は食べたものの、楽しみにしていた朝酒は5勺も飲んだだろうか。氏神様にお参りしてお守りを買って、最近とんと記憶にない気怠い元旦を過ごしていた。家族に勧められた買い置きの「のどの痛みや鼻水・咳に効く薬」を二度服用して、「おっ、なかなか効くじゃないか」と感心して説明書を読むと「前立腺などの障害で排尿困難な症状のある方は服用しないでください」とある。数年前、排尿できなくなって大変な思いをした経験がよみがえり、市販薬もストップ。ボーッとテレビを眺めていて飛び込んだのが「能登半島地震」だった。

 日に日に地震の実態が明らかになっていく。第一報を聴いたときの印象とは全く異なる、想像を絶する凄惨な状況が続いている。

 

 「方丈記」が元暦2年(1185年7月9日)の地震に触れている。曰く

「おびただしく大地震(おほなゐ)ふる(震る)こと侍りき。そのさま世の常ならず。山は崩れて河を埋み、海は傾きて陸地をひたせり。土裂けて水涌き出で、巌(いはお)割れて谷にまろび入る。なぎさ漕ぐ船は波にただよひ、道行く馬は足の立ち処を惑はす。都のほとりには、在々所々堂舎塔廟一つとして全からず、或は崩れ或は倒れぬ。・・・中略・・・四大種のなかに、水火風は常に害をなせど、大地にいたりては、異なる変をなさず。昔、斉衡(854~857年)のころとか、大地震ふりて、東大寺の仏の御髪落ちなど、いみじき事ども侍りけれど、・・・中略・・・年経にし後は、ことばにかけて言ひ出づる人だになし。」

 「方丈記」でも、「月日が経つと地震の怖さを忘れてしまう」と述べているのだ。

 

 1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災、そして2016年の熊本地震、今回の「2024能登半島地震」、立て続けに大きな地震が、地球の歴史からすると、それこそ「頻繁に」地震が起きているのだ。人間はその恐怖を忘れてしまう。

 政治はこの教訓を積み重ねていくことはあっても、決して忘れてはならない。この30年間に4度の未曾有の大地震でとてつもない経験をした。はたして政治は、後世へ教訓を伝えようとしたか。「国土強靱化」などというゼネコンのための政策も登場した。しかし今、「国民の命を守る?」ために組まれた膨大な予算のほとんどは「防衛費(軍事費)」であり「人を殺す」ための予算だ。直ちにその何パーセントかでも「防災予算」に回そう。南海トラフ地震は、もう、すぐそこまで来ている気がする。

 

 昨日は、下通入り口で社民党県連合の「大地震災害救援カンパ」活動。

今日、正月七日は朝食に「七草がゆ」を啜り、体調は万全に回復。

 今夜から、飲み残した例の「日本酒」を(楽しく)片付けなければならない。

(Trout 2024.1.7