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西山太吉が語る「秘密保護法~その背景と問題点」<故西山太吉さんの講演要旨>その③

西山太吉が語る「秘密保護法~その背景と問題点」

2月26日の朝刊に、西山氏の逝去が報じられた。「沖縄密約とは何だったのか」今一度、当時の講演記録で振り返りたい。

<故西山太吉さんの講演要旨>その③(注は筆者)

 

これまでの日米関係の国家秘密はどういう構造だったでしょうか。1960年の新安保条約によって、日本の安全保障を米国に任せました。それに乗じて米国はどんどん日本に要求するようになってきました。それまでは密約はなかったのです。1960年、岸・ハーター交換公文に「事前協議」を定めています。しかし密約では「朝鮮半島有事の場合は事前協議なんてとんでもない話、自由に出入りする。つまり朝鮮半島有事は事前協議の対象とせず」と書いてあります。密約では「事前協議制はなかった」ことにしているのです。また公文には「戦艦も航空母艦も核を積んで入港する場合は事前協議の対象にする。日本の非核三原則に反するから」としています。しかし密約では「港に入るときに、いちいち核は外せない。核というのは、あるかないか分からない状態にしておくのだ。否定も肯定もしない。しかし核は搭載したままであって、港に入るときに、いちいち事前協議して、積んでいます、積んでいません、とすれば核戦略は崩壊してしまう」というのです。大平外務大臣の時にライシャワーが本当のことを言っています。米艦船の寄港時の核の持ち込みの密約です。日本は何も言えない。「もう出入り自由です。何も言いません」と。みんな密約です。米国はどんどん要求してきます。守っていただく日本は全部受けいれていきます。1972年の沖縄返還条約も同じで、「お前たちを守ってやっているのだから、基地の提供とか、施設の提供とか、そんなものは、ただで当たり前。それだけではなく基地の移動とか、基地の施設を改良するとか、これも全部お前らが払え。」・・・そうなってきます。全部要求して来ます。それを全部受けるのです。

 金丸防衛庁長官の、「アメリカに守ってもらっているのだから、もうちょっとお金出してやろうじゃないか」という「思いやり予算」は1978年から始まったと思っている人が多いですが、実は1972年の沖縄返還から始まっているのです。返還時に、6500万ドルという額を米軍施設改良工事費として5年に分けてアメリカに払うという密約がありました。(全然国会に出していない。未だに何にも調べようとしません。私だけが言っています。この前、国会に証人喚問されたとき、このことを言いました。米国の機密文書に全部出ている最大の密約をなぜ追及しないのでしょうか)5年経って6500万ドルすべて無くなってしまいましたが継続しなければいけないということで、78年に「思いやり予算」を作ったのです。これは全部密約です。それがバレたら地位協定違反です。それから先どんどん金は膨らんでいく。在日米軍の費用を全部肩代わりする、その突破口ができました。そして誰一人分からないように、防衛庁の様々な予算の中に少しずつ紛れ込ませる、そんなことをしてきたのです。米国の要求を日本が全て受け入れていきます。これが秘密です。国家機密の90%は日米同盟に関する秘密なのです。

そのように米国の対日要求というものがどんどん強化され、それを日本が受けたら、日本の憲法秩序をはじめ、それまで守って来た秩序体系が乱れてしまうわけです。軋轢が生まれ、国民の反発が起きる。これは隠さなければいけない、それで秘密が生まれるのです。これが密約構造。日本の特定秘密法なのです。