熊本教育ネットワークユニオン

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「唯一の被爆国」論考

       「唯一の被爆国」論考

 

 「日本は唯一の被爆国として…」、「ここ長崎が最後の被爆地になるように…」などの言い回しをよく聞く(注1)。しかし物理学者の高木仁三郎さん(故人、注2)は生前、「(マーシャルの被爆者たちは)自分たちはアメリカ政府だけでなく、日本人からも切り捨てられたと思わなかったろうか。」と心配していた。(講談社現代新書『核時代を生きる』)

 

 広島・長崎で多くの朝鮮人・中国人が被爆させられた。また、核実験による放射能被爆したマーシャル諸島の人々、アメリカのネヴァダやユタの住民や兵士たち、イギリスの兵士たち、モルロアの住民たち、さらに核災害の犠牲となった南ウラルの住民たち…これらは等しくヒバクシャである。

        

 かつてアジア諸国や太平洋への侵略者であった日本が、その加害性と責任の問題を放棄して、ただ「被害者」としてのみ登場することのおかしさを高木さんは指摘する。要は、私たちが世界の民衆とどんな関係を結ぼうとするかという、姿勢の問題だと。

 ずいぶん前のことになるが、「原水禁長崎大会」に参加したことがあった。1980年代のことだ。太陽が強烈に照りつける桟橋前の広場で、被爆者の、あるいは核廃絶を訴える人たちの話をいくつも聞いた。その中に「ミクロネシアから駆けつけて」くれた人たちがいた。1954年、ビキニ環礁における水爆実験で日本の漁師たちが放射能を浴びたことは誰でも知っている。その時、マーシャル海域の住民たちも一様に放射能を浴びせられたのであったが、こちらの方はあまり詳しく報道されなかったのではないか。集会で彼らはこのことを明らかにしてくれた。再び高木さんの本から引用する。

 

 住民たちは、まったく無防備のまま放置され続け、救助されたのはまる二日から三日経て後のことだった。その二日の間、住民たちは放射能について何も知らず雪のように降る死の灰のもとで生活し、「白い粉」のかかった食事をすらとっていたのである。                     

 

 プーチンが限定核戦争を始める可能性は依然として消えていない。金正恩も核開発に余念がない。「まさか」という仮定の上で世界は動いているが、おそらく彼らは広島や長崎を、ネヴァダやウラルやマーシャルの被爆者たちのことを学習していないだろう。核兵器はいつでもどこでも、全人類への脅威となりえるのだ。過ちを重ねてきた人類が、これ以上の過ちを繰り返さないためには、まずロシア・ウクライナ戦争を一刻も早く停戦に持ち込む努力をしなければならない。(一説には、アメリカの軍産共同体がわが利益のためにずるずると長引かせているとも言われている。ロシアが消耗していくことはアメリカ政府にとっても好都合なのだろう。)さあ、「核廃絶の気運を盛り上げる」とぶち上げた日本の総理大臣よ。あなたが国連でスピーチしたことは知っています。しかし議場はガラガラ。あなたの訴えが単なるパフォーマンスであったことはほとんど悲劇と言えます。世界の信用を勝ち取るには、その言行不一致を改め、今こそ「戦争被爆国」の原点に帰るべきではありませんか。(そもそも「非核三原則」は大丈夫なんですか、という疑問も抱きつつ…。)

 (注1)「平和宣言」その他で、最近は「唯一の戦争被爆国」という表現が使われることが多い。  

 (注2) 元原子力資料情報室代表、2000年死去。 

                   ~オウシャン・セイリング~