熊本教育ネットワークユニオン

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侏儒の呟き(6)~夏のつぶやき、あれこれ~

侏儒の呟き(6)~夏のつぶやき、あれこれ~

○対話、交渉、その他緊張を緩和する道はいくつかあろうが、成功しなければそれは大抵相手への非難で終わる。対立が深まり攻撃が正当化される。平時なら理性のもとに抑えられているものが、戦時になると途端に頭を擡げてくるのだ。疑念、差別、嫌悪、憎悪、そして殺意等々。人の命を奪うことが平和を守ることだ、正しいことだと認識されるとは、やはり戦争は人類が抱えた最大の矛盾である。

○広島に今年も暑い夏が来た。「原爆の日」は今年で77回目になるそうだ。言い換えると、あの日から77年にもなるのにまだ人類は核の脅威と闘わねばならないということだ。理性も叡知も備えた筈の人間が、同時に狂気と獣性を捨てきれぬという二面性に、わが悟性は混乱する。

○広島でも長崎でも言われた。「日本は早く核禁止条約に参加して欲しい」と。条約に参加しないだけでなく、締約国会議への出席さえしなかった。多くの被爆者、関係者を失望させた。これに対して岸田は言う。「米国との信頼関係の下、現実的な核軍縮、不拡散の取り組みを進めるべきだ」と。一方で彼は二言目には「自分は広島選出の政治家だ」と言う。あなたの本心はどこにあるのですかと問いたい。核の傘下にあるから核廃絶に動けないと思うのは謬った観念ではないか。むしろ、被爆国の首相であるということを前面に立てるべきである。しっかりしろと言いたい。

○「終戦記念日」が巡ってくる度に靖国神社が話題になる。今年も予想を裏切らなかった。どんな言葉で潤色しても、参拝する政治家はアジア諸国から国粋主義者だと受け取られる。靖国でなく、広島や長崎の原爆資料館をこそ訪れるべきである。或いは、沖縄を訪れてその現実を見つめるべきである。政治家の都合でなく、「一個人として」。

○人はどんなに右翼的な思想を持っていても亡くなってしまえばそれまでである。ところが靖国は右翼的思想の拠り所として存在し続ける。戦没者を追悼することはあり得ても、「英霊」として祀るなどということが諸外国にあるだろうか。

○この夏の句作。
  木洩れ日に小手を翳せば蝉しぐれ
  しあしあと小窓を揺らす朝の蝉
  宿命と知るや夕蝉鳴き通す
  近づけば発つ青鷺の怒声かな
  夕風の渡る青田や鷺一羽
  昼顔の閉じても妖し薄き紅
  絡むものなくばひるがほ生きられじ
  黙祷の朝いくたびも百日紅
  白蓮や戦火の報せけふも来る
  核を畏れなほ棄てきれぬといふ螢     (ネットワークユニオン・S)