熊本教育ネットワークユニオン

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65年学校に通った

65年学校に通った

 長すぎた教職生活もようやく終わりを迎える。生徒として幼稚園・小学校・中学校・高校・大学。教諭として8校、臨採として3校、非常勤として2校。学校に通い続けた。父も教員だったので、学校は生まれたときから身近なものであり続けた。教員は学校の中のことしか知らない「世間知らず」と言われているようだが、私はその典型だろう。しかし、教員でしか体験できないことも数多くある。生徒・教職員・保護者・地域の方などとの多くの出会いと別れもそうである。

 最近、とみに記憶に自信がなくなった。特に、短期の記憶がそうである。例えば、学校から帰るときにタブレットやPCそれにワイヤレスマウスの電源を切ったかどうか自信がなくなることが良くある。1階まで降りたり、車にしばらく乗ってから急に心配になり、何度も3階の準備室まで引き返した。そして、ほとんどは切っている。

 昔の長期の記憶も段々とおぼろげになってきている。話していたり、夜中に目が覚めたりしたとき、突如昔の記憶が蘇ることがある。しかし、その中身や前後の記憶が曖昧でぼやけてしまっていることが多い。

 

 すぐには浮かんでこないが、教職生活の中で嬉しかったり、辛かったり、悩んだり、充実感があったり・・・・いろいろなことがあったと思う。その中でも、現任校は特別な体験をしたところである。それで、ものの見方が少し変わったようにも思う。

 30年以上前に教諭として赴任して、1年生の担任をした。3学期のいつだっただろうか、学校長から「同和」教育推進教員をして欲しいと言われた。それまで、「同和」教育や部落問題と距離を置いていた私だが、断る理由が見つけられずに引き受けることになった。そうすると、周りの教職員から「大変ですね」と言われるようになった。それまでの私も活動の中身をあまり知らずに、そう思っていた。身につけていた差別的な意識の裏返しで、少々肩肘を張っていたようにも思う。「大変じゃないですよ」と返したり、夜が遅くても翌日の学校の朝会には出てから出張に行ったりしていた。校外に出ることが多く、勝手に孤独を感じていた。

 地区の研究集会などの司会をするようにもなった。時には小中学校の授業研の協力者になり発言をしたが、ヒヤヒヤものであった。県や九州地区などの研究集会の分科会でも、実践報告はできないので、どうにか質問をするくらいだった。

 推進教員の役目だと思って、担当地区に通った。生徒はいろいろな公立や私立の高校に通学していた。ほとんどが他校生だったが、生徒の家の前に立つと「何を話そうか」「誰が出てこられるのだろうか」と思い緊張した。担任として家庭訪問をした時には、これほどの緊張はなかった。玄関口だけの話の時も多いが、ときどき家に上がって話した。話している時も、話題を捜しながら落ち着かなかった。そのためらいは、自分自身の差別的意識の表れでもあった。生徒や親の反応を恐れ、一人で責任を負うのを怖がっていた。

 

 推進教員を3年で交代した後も校内の推進委員長となり、校外の役割もいくつかあった。そんな中、今度は組合の地区の書記長をすることになった。ローテーションが回ってきて、支部長からするように言われた。組合に入っていただけのような私は、これまた何をするのかもあまり知らずに引き受けた。そして、地区の会議を招集や進行をすることになり、本部の会議にも出ることになった。県との交渉にも参加して、公務員の待遇や勤務条件の決まり方の一端を知った。待っているだけでは、改善しない。お上にお任せでは後退することもあるし、その進行は早くなるだろう。1年間ではあったが、これまた貴重な体験であった。

 

 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本戦の中継をだいたい観た。特に、準決勝や決勝は本当に漫画かドラマのような試合だった。感激して嬉しかったが、惜敗したメキシコやアメリカの選手や国民はどうだっただろうか。何事においても、勝って良かったばかりでなく、負けた側にも思いを馳せたいものである。

 重圧のもと全力を尽くして勝利した選手たちの姿は素晴らしい。自分なりに教員を真摯にやったつもりだが、教職生活の中で心の底から喜んだことがあるのだろうかとも思った。弓道を選手として顧問として、どこまで真剣に打ち込んだのだろうかとも。どこか、冷めた自分がいてブレーキをかけていたようにも思う。だから、どうにか今まで教職が続けられたのかもしれない。

 

 一昨日、1年3クラスと2年1クラスの授業をした。さすがに4時間目の授業では声が少しかすれた。教職最後とも言わず、ただ普通の授業で終わった。残りの人生は長くないが、何か少しでも夢中になれるものに出会えたらとも思う。

 

(熊本教育ネットワークユニオン true myself)