履歴書の写し
11月下旬、妻が大掃除の一環で長年そのままにしていたレターケースの筆記具などを整理し始めた。追い立てられるうちに下の段の一番下に履歴書の写しを発見した。定年のときに手に入れたはずだが、すっかり失念していた。その経緯や、そのとき原本を見たのかも記憶にない。職歴・賞罰として教員採用から退職までの発令年月日と任免・賞罰・俸給などの辞令の項目が記されている。異動のたびに校長印が押され、転任先に送られていた。昇給はもちろん舎監の任免や手当などの記述もあり、県教委からの定年退職に対する感謝の言葉で締めくくられていた。今年定年の先生に見せたら、感謝状はもらったが、履歴書は見たこともなく存在自体も知らないそうだ。
何がきっかけだったかは忘れたが、20年以上前に現任校で教諭の時に事務室で原本を見せてもらったように思う。ストライキ参加の処分は赤字だったことを覚えている。2年前から、臨時教員等申込書には懲戒処分歴の欄が追加された。公務員なら記録があるはずなのに、何の意味があるのだろうか。いろいろ迷ったが、私は記憶を頼りに「40年ほど前のストライキ参加による懲戒は恩赦により免除されたので、処分歴は無とした」と書いた。履歴書を見ると、県条例により戒告処分は将来に向かって免除されたなどの記述があった。
私はもともと保守的な人間だと思っている。大学生の時も政治や社会問題には関心が薄く、いわゆる「ノンポリ」。学生運動にも近づこうとはしなかった。弓道部の遠征の時以外は講義や実験などにほとんど出席していた。
教員になったとき、何となく組合活動にも抵抗感を持っていた。初任校はほとんどが組合員であった。組合運動に対する高い意識は持っていなかったが、1年後には組合に加入してストライキにも参加した。管理職であった父からは「組合に入るのは良いが、ストライキはするな」と言われていた。生徒には学校をサボるなと言っている手前、なんだか妙な気持ちにもなった。
時代を考えると父も組合員だったはずだが、組合活動やストライキなどの話をしたことはない。教員の先輩でもある父とは話しづらかった。この歳になって、亡き両親のことを少ししか知らないとあらためて思ってしまう。もっといろいろ聞いておけば良かったなあと今更ながら後悔の念が残る。
ところで、12月上旬に熊本在住の大学の同級生からDVDが送られてきた。11月上旬のクラス会の様子をビデオ撮影したものである。早速お礼の電話をかけた。映像で見ると、老人になっていることが如実に突きつけられる。誰しもが後ろ姿にも髪の毛にも顔にもそれぞれに表れている。3年後はどうなっているだろうか。気持ちだけは昔に戻れる再会を楽しみにしている。
(熊本教育ネットワークユニオン true myself)
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