熊本教育ネットワークユニオン

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捨てきれない

捨てきれない

 

 教職から離れる3月の最終週は、連日後片付けだった。それなりに集中してやったつもりだが、転勤ではなく退職となるとかなりの時間がかかる。

 私は物がなかなか捨てられない。周りのほとんどの親族も捨てられないようだ。母も姉もそうだ。その姉が、義兄(姉の夫)は更に輪をかけていて捨ててあった物を拾ってくることがあると嘆いていた。父は本を買うのが道楽みたいで、全部は見ないだろう分厚い歴史書や大きな美術全集などが本棚に多数鎮座していた。実家も姉の家もさまざまな物で一杯であった。

 そんな中、妻だけが捨てられる人である。普段から物をためないようにしている。大掃除では、指示のもと雑誌類などを処分することになる。一度、行動などを記録した4年分くらいの手帳が年度が過ぎているから捨てたと言われたときは本当にガッカリした。

 

 今までの転勤では、かなりの物量を持って回っていた。臨採・非常勤になっても空き家になっていた実家にも置いていた。その実家も無くなり、我が家には既にある程度置いているので、今回は自分としてもかなり思い切って処分するつもりだった。

 昔は学校の焼却炉で紙などを処分していたが、今はリサイクルで紙類は処分しなければならない。非常勤なのに4年分の処分量は相当な量になった。1日や2日では終わらないと思われた。

 

 昼食を家で早めに食べて、午後半日を使ってやることにした。授業プリントやテストの残部、朝会連絡・職員会議資料などの配布物・・・・。シュレッダーにも相当な量をかけたが、段ボールに詰めた量は2・3箱どころではなかった。資源ゴミとして処理してもらう。使えない筆記具・器具を入れていたプラスチックケースなどはゴミ用ビニル袋に入れて捨てる。それにしても、持って回ってきた文具や道具・器具などは増え続けていた。迷惑かもしれないが、A4とB4レターケースとクリップ・保存用ファイル・クリアファイルなどは準備室で、バインダーや小物などは同教科の先生に貰っていただいた。

 

 そうこうしているうちに転退任式の日になった。当日出席の転退任者は15名いたが、非常勤講師の私の挨拶の順番は一番最後になった。先ず、職員の前で行った。定年の方や転任の方が次々に思いのこもった挨拶をされた。いつもながら、皆それぞれに良いことを言われるなと感心をしていた。私は、前回の記事で書いた「同和」教育推進教員や組合の地区書記長をしたことが特別で貴重な体験だったことをかいつまんで話した。

 その後、体育館で生徒の前で話した。思えば、25年ぶりに同じ状況でこのステージに立ったことになる。一度体育館内を見回してから、旧体育館からこの体育館に建て替わっていく様子を3階の準備室から間近にながめていたことを話した。高校・大学で弓を引いたので弓道部顧問になり、バラックみたいな道場が今の弓道場に建て替わったことなども話した。教訓や示唆になるようなことは言えないので、「自分のことを考えて、そして他人のことを考えて、自分の道を歩んでいかれることを願います」と言って終わった。

 

 高校版の教職員録の処理などが残ったので、3月末まで学校に行くことになった。短時間と思っていたら、見落としていたところがあった。机の引き出しの奥に多くのこぼれたプリント類が残っていたので、封をしていた段ボールを開けて入れた。教職員録は印刷室に行って、紙をまとめてある背の部分を裁断機で切ってから、大型のシュレッダーにかけた。

 結局、捨てる決心がつかない文具や大量の写真それにDVDプレーヤーなどを詰めたプラスチック製衣装ケースと小さめの段ボール箱、計2つを家に持って帰った。写真はあることを忘れていたものがほとんどであった。これでも、転勤の時に比べると2・3分の一になったと思う。これらの整理や処分を当分はしないだろうが、いつか指示されるだろう。

 

 4月になって1週間、まだ長い休みが続いているような感覚である。もう少しすると、教員を辞めたと実感するようになるだろう。平日に今まで行けなかった何泊かの県外旅行に行きたいとは思っている。

(熊本教育ネットワークユニオン true myself)