熊本教育ネットワークユニオン

活動の報告と相談の窓口です。またブログ担当者の学習の跡でもあります。過去の記事をご覧になるときは下のメニュー欄をクリックください

MENU

沖縄であれこれ

沖縄であれこれ

 

 初めて沖縄に行った。以前に利用したツアー会社は全国各地へのコースを大々的に新聞広告を出している。家にも宣伝の冊子が次々に届くが、この会社のコースには行ったことのない首里城などが含まれていなかった。新聞広告に少し載った別会社の広告には、首里城も含むいろいろと盛り込まれたコースがあった。会社の規模が小さいので宿などの不安もあったが、申し込んだ。

 

 熊本空港から1時間半ほどで那覇空港に着陸した。滑走路が2本、埋め立て増設した海側の滑走路は着陸専用でターミナルビルに近い方が離陸専用のようだった。便数も多く、ターミナルビルもかなり広かった。

 見学地は主要国道58号線がある東シナ海側がほとんどだった。太平洋側は初日に新原ビーチでグラスボートに乗ったくらいである沖縄本島は南北に110kmくらいあるそうだ。一番幅が狭いところは4kmくらいしかなく細長い。南部から北端までバスで往復し、多くの見学地を巡る強行スケジュールであった。まるで修学旅行のようだった。

 

 高速道路で嘉手納基地の横を通過した。滑走路は見えなかったが、米軍住宅が見えた。緑地に囲まれた広い庭に平屋で、多分ゆったりした間取りだろう。その前後には建て込んだ沖縄の住宅や建物が見えた。山の上の方まで建っているののもあり、隔たりが大きい。これは半世紀前に見た光景でもあった。福岡での大学時代に鹿児島本線の列車から見た春日原の米軍住宅を思い出した。入学当時は沖縄返還前で、沖縄の同級生はこちらに来るのにパスポートが必要だった。

 春日原住宅地はその後間もなく返還されて、今は九州大学の筑紫キャンパスになっている。沖縄ではあの状況がずっと続いている。

 

 本島最北端の辺戸岬にも行った。その手前の道路沿いにピンクの幟が多数はためき、宇良関とある。あとで、このピンクはまわしの色だと気がついた。宇良はレスリングの経験もあるせいか「居反り」などの珍しい決まり手が印象的である。幕内の取り組みで膝のケガをして手術後に長期休場、序二段まで降格後再入幕を果たした。これは史上最低地位からの幕内復帰記録だそうだ。大相撲の宇良の出身は大阪府とあるが、父親は沖縄の国頭村宜名真出身で祖父母は今も住んでいるそうである。

 

 道路沿いにある全てのコンビニが二重扉になっている。台風対策かなと思ったが、東北のツアーでもコンビニが二重扉だった。こちらは積雪対策なのだろう。東北の日本海側の家は雨樋が無かったが、沖縄の家も雨樋が少なかったように思う。これも同じ理由だろう。

 沖縄は多くの家の屋根の上にタンクがある。バスガイドさんがこれは何だと思うか尋ねられた。燃料タンクなどと言った人もいたが、水タンクだった。以前は渇水で断水が多かったためだそうだ。熊本地震や今回の能登半島地震でも電気の復旧は早いが、水道の復旧にはかなりの時間を要す。ダムの水に頼る地域が水不足になったときもそう簡単には解消しない。

 沖縄の墓は大きい。道路沿いに多数見かけた。家のような墓の前に空間があり、墓参りで親族が集まって宴会をするそうだ。何とはなく沖縄らしいなと思った。

 

 美ら海水族館のバス駐車場には夕方近くではあったが、他のバスは1台も駐まっていなかった。20回くらい来たことのある添乗員さんはが初めてだと驚いていた丁度ジンベイザメが縦になって水面近くにまかれた餌を食べるところを観ることができた。集合時間が迫っていたが、水槽上部の見学時間になったのでエレベーターて4Fまで上り、急いで見て回って下りた。バス駐車場に帰る道筋には誰もいないので、少々不安になった。一番最後ではあったが、集合時間の5分前くらいにバスに戻った。

 首里城では、守礼門を通って進み、有料の正殿再建現場見学をすることができた。巨大な建屋の中に真新しい木材が組み上げられていた。

 

 最後の見学地は本島南部糸満市ひめゆりの塔ひめゆり平和祈念資料館であった。慰霊塔の前にある洞窟(ガマ)は沖縄陸軍病院の外科病棟壕跡だという。平和祈念資料館には200名以上の生徒と教員の写真と名前が壁に掛けられ、大型の証言本が並んでいた。バスガイドさんは「ひめゆり学徒隊と言えば自決のイメージが強いが、黄リン弾による犠牲が多かったそうだ」と言われていたが、展示にもそうあった。

 黄リンは教科書にリンの同素体(同じ元素からなる単体で性質の異なるもの)の例として載っている。赤リンはマッチのスリ板にも使われ、無毒で発火点も高い。黄リンは昔は殺鼠剤の猫いらずなどに使われ、猛毒で空気中で自然発火する。かなり昔、黄リンをお湯に入れて酸素ガスを吹き付け水中で発火する様子を生徒に見せたことがある。その黄リンがガマの中にいる人たちへの殺傷兵器として使われたことにいたたまれなさを感じた。戦争に正義はない。

 

 那覇空港で離陸のため搭乗した旅客機が誘導路を進んでいたとき、航空自衛隊の広い基地が真横に見えた。さまざまの航空機が並んでいたが、F15戦闘機が一番多かったように思う。沖縄には米軍基地が集中し広大な土地を占拠している。そして自衛隊基地も本島に限らず数多くある。沖縄の明るいイメージとは裏腹の現状を垣間見たように思った。

 

 昨日は姉の誕生日だったので、電話した。姉はいつも「元気しとるね」と言う。「どうにかこうにか」と答えた。義兄は普段からあまり運転しないので、次の免許更新では返納するそうだ。姉も不安もあるが、運転支援装備の車で次の免許更新はするみたいだ。私も次は認知機能検査は受けなければならないが、今のところ更新はするつもりである。

 

(熊本教育ネットワークユニオン true myself)

編集者から:例によって編集者のおせっかいの写真添付です。

写真は https://098free.com/  ( ばんない堂さんから)です。

 

2013年7月の首里城(写真はフリー:ばんない堂)

美ら海水族館(写真はフリー:ばんない堂)



ひめゆりの塔(写真はフリー:ばんない堂)