熊本教育ネットワークユニオン

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みちのくのバスガイド

みちのくのバスガイド

 

 はじめて東北に行った。正確に言うと、46・7年前に北海道に行ったとき鉄道で通ったことはある。当時は青函連絡船で北海道に渡った。

 

 ツアーは時期によって値段がかなり違う。紅葉の時期が高いようだ。一番安いのが10月上旬だった。少々遅いと思ったが、9月半ばに電話したら案の定予約は一杯。ダメ元でキャンセル待ちとした。すると、しばらくしてから可能だと旅行会社から連絡があったので急いで手続きをした。

 

 飛行機で熊本と仙台を往復、直通はないので大阪伊丹で乗り継いだ。鹿児島からの人たちは仙台往きの機内で、福岡からの直行便の人たちは仙台で合流した。九州各地から集まった人たちと2泊3日、バスでの移動距離は資料によると計約890kmの旅、かなりの強行軍である。

 主な見学地は1日目、日本三景・松島、世界遺産中尊寺金色堂2日目、奥入瀬渓流十和田湖田沢湖など。3日目、角館・武家屋敷通りなど。宮城以外は北東北の内陸部を4県に渡って移動した。

 

 日本三景の1つである松島は一大観光地であった。松島湾は浅く広いせいか茶色の海であった。湾の内側と入り口を取り囲むように間隔をあけて260余の島が浮かぶ。遊覧船に乗って変わった形の島や岩を見た。あまり広くはないが、天草松島は蒼い海に島々が点在する。

 中尊寺は高いところにはあったが、もっと山深いところにあると勝手に思っていた。平泉は奥州藤原氏が栄えた当時としては大都市だったのだと思い直した。大きな覆い堂の中の金色堂は思っていたよりこぢんまりとしていた

 十和田湖では遊覧船に乗ったが、湾があり複雑な形をしていた。二重式カルデラ湖だそうだ。魚が棲まないと言われた十和田湖に、井内貞行が失敗を繰り返した末にヒメマスの養魚に成功した話は小学生の時に本で読んだように思う。十和田湖から唯一流れ出る奥入瀬川は渓流と言われるように複雑な地形で、両側の崖から所々小さな滝が流れ込んでいた。

 田沢湖はほぼ円形の単純なカルデラ湖で日本で1番の深いそうだ。十和田湖が日本で3番目で、2番目は北海道の支笏湖だそうだ。

 武家屋敷通りと言えば大体道は狭かったが、角館はその道幅が当時から広く3・4車線分はあった。今まで見たことのない広々とした光景であった。そして、最後にもの凄いどしゃ降りの雨に見舞われた。

 

 車体にMichinokuと書かれた赤色のバスにベテラン運転手、41名の高齢客でほとんどが夫婦、そして3名や7名のグループもおられた。添乗員は女性、初めての添乗研修という新人女性も一緒。年齢層は全く違うが、なんだか修学旅行みたいな感じがした。

 なんと言ってもバスガイドの話術が巧みで良かった。淀みなくいろいろな話や案内をされるので、「ガイドさんはエーとかアーが出ないで話が途切れない。あの人は頭が良い。」などという男性客の会話が聞こえてきた。運転手とのやりとりや各地の特産品やお薦めのお菓子そして宿泊するホテルの情報などを東北弁を交えて軽妙な語り口で紹介された。そして、東日本大震災のことを実体験も入れて真摯に話された。

 

 高速道路から見えるものを案内される。大谷翔平が卒業した花巻東高校、芭蕉が歩いたとされた道、片側が削げているように見えることから「南部片富士」と呼ばれ見る位置によって山容が変わっていく岩木山、・・・・・・。

 全部は覚えていないが、こんな話もされたと思う。▼十和田湖の湖畔に建つ高村光太郎作の「乙女の像」のモデルは18才と言われているが、その姿から私のような「太めの像」と呼ぶ人もいる。▼九州の人でも薩摩弁が分かりにくいように、東北の人からしても津軽弁が外国語のように聞こえる。▼ツアー中に妻が宅配で荷物を自宅に送ったときに夫の服を全部詰めたので、夫は革靴にホテルの浴衣姿で旅を続けた。▼今の朝ドラにも出ている俳優Yが地元の秋田に住んでいるが、PTA活動に一緒に参加して東京出身の妻も地域に馴染んでいった。・・・・その他にもあっただろう。

 

 東日本大震災の話もされた。松島湾が浅くて入り口に並ぶ島が防波堤の役割を果たしたので津波はかなり低く押さえられたが、それでも瑞巌寺参道の杉並木は海水で大きな木は枯れてしまった。

 ずっと停電で、街や仙台空港津波が押し寄せる映像などを見たのは後になってからだった。熊本地震のときも阿蘇大橋崩落の映像を見たのはしばらくしてからだった。

 多くの子どもたちが犠牲となった石巻の大川小学校で11名の先生の中でただ1人生き残った方のこと。

 自動車が使えず、飼っている2匹の犬をリュックに入れて背負って自転車で買い物などに行っていたので奇妙に思われたようだ。スーパーがようやく開いても5品目や7品目までと制限された。買いたい食品などは手に入れられなかったが、ソースやケチャップなどをつい買ってしまいずっと残ってしまった

 

 ガイドさんによると、九州の人は飛行機など北海道へ行きがちで東北に来る人は少なく、同様に東北の人は沖縄に行くので九州に行く人は割と少ないそうだ

 九州の人は時間に正確だと持ち上げられた。実際、ホテル出発が2日とも7時50分に繰り上げられたが、時間前にはバスの座席に全員揃っていた。他の見学地などでも大体そうだった。聞きはしないが、時間に遅れがちなのはどこの地域の人だろうかとも思った。

 

 1日目のホテルに出入りする道には線路と並行する狭い道からこれまた狭い踏切に直角に曲がらなければならなかった。ガイドさんがここは運転手の腕の見せ所だと言われたので、乗客は注目していた。すると行きも帰りも大型バスは踏切の鉄柵や民家の屋根のすれすれの所をかすめるように切り返しも無く一発で曲がったときには、一斉に拍手が起きた。あらためて大型2種免許取得のその経験と技量に感服した。

 

 宿泊ホテルの関係で、岩手と秋田を往復した形になった。途中、秋田新幹線の線路が見えた。単線の在来線を標準軌にした区間のようだが、列車は見えない。ガイドさんもすれ違ったことはあるようだが、なかなか遭遇しないそうだ。

 すると、運転手がバックミラーかリアカメラで後ろから列車が来ているのに気付いた。新幹線とは言いながら、踏切のある在来線上なのでスピードはバスより少し速い程度である。道路と線路が近い区間だったので、秋田新幹線こまちと並走する形になった。ガイドさんも初めてだったそうだが、車内には歓声が上がった。

 

 在来線区間は時間短縮にはならないが、車体の幅が狭いミニ新幹線で乗ったまま東北新幹線に連結する。昔の九州新幹線や今の西九州新幹線は途中駅でリレー特急に乗り継いでいた。新幹線は飛行機よりは省エネで運行時の環境負荷も少ないだろうが、地方交通衰退などを招いて返って不便になる地域もあるようだ。人口減少の日本でどう考えれば良いのだろうか。

 

 宮﨑からの私より高齢と思われる同級生男性7人グループは、夕食はもちろん昼食の時もアルコールを飲んでいた。多くの方がホテルや昼食場所そして見学地や休憩場所でも土産物などをどんどん買われる。同宿になった同じ旅行会社の大阪からのツアーは45名だそうで、添乗員もいるのでバス(12列で定員49名)はほぼ満員である。国内旅行関係業界は高齢者とインバウンド(訪日外国人)で保っているのだろうと思ってしまった。

 

 東京とスキー修学旅行で長野には行ったことがあるが、それ以外の南東北関東甲信越などにはほとんど行ったことがない。老い先は長くない。海外旅行にも行ったこともないが、国内のまだ踏み入れていない県を訪れてみたいものである。

 

(熊本教育ネットワークユニオン true myself)