熊本教育ネットワークユニオン

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夏も終わり?                    

夏も終わり?                    

 

 今年の夏も連日暑かった。過去126年で最も暑くなったそうだ。最高気温が、九州沖縄より緯度が高い東日本の方が高かったように思う。地球温暖化に加え気圧配置やフェーン現象などの影響とは思うが、北海道と東北のすべての県庁所在地で8月の平均気温が観測史上1位を記録したという。

 

  8月末、宮﨑の都城の宿に泊まった。都城は以前に日南に行った帰りに来たことがあった。旅行目的というより、新聞広告にあった夕食の宮﨑牛の写真に惹かれた。更に旅行支援もあってかなり安くなっていたので行こうということになった。

 

 途中、御池(みいけ)に寄った。霧島の高千穂峰が見える火口湖で、40年くらい前にクラスキャンプできたことがあった。

 その頃、高千穂峰にも教職員の人たちと一緒に登ったことがあった。高千穂河原まで車で行き、普通の運動靴で登った。山頂からの眺望の素晴らしさが印象に残っている。眼下に御池も見えていたのだろう。砂礫の登山道をズルズルと滑りながら下りた。

 

 新採の学校では何もなかったが、2校目の学校で担任した2年の生徒から当然のように「夏休みはクラスキャンプに行きましょう」と言われた。

 鹿児島県の吹上浜に行くことになった。詳しい経緯は覚えていないが、私は引率として1人でついて行った。人吉から肥薩線西鹿児島駅、それから今はもう無い私鉄(調べたら鹿児島交通南薩線)で吹上浜駅で降りた。生徒は楽しそうに盛り上がっていたが、私はそういう訳にはいかない。

 生徒が泳ぐときは「これ以上は来るな」と言って海辺から少し離れた海面に浮き輪で留まっていた。夜は混じって寝ないように男と女のテントの間のテントに陣取った。事件・事故が起らないように願うだけである。キャンプするなら、引率ではなく同じ立場の者だけで行った方が断然良い。

 だいぶ経ってから、吹上浜北朝鮮による拉致事件が1978年に起きていたことを知った。1年後ではあるが、同じところでクラスキャンプをしたことになる。ひょっとしたらと思うと少しヒヤッとした。

 

 次に担任したクラスは市房キャンプ場に1人で引率。夏だけど夜は寒く、新聞紙を巻き付けて寝たが、ガタガタと震えた。毛布を借りれば良かったと思った。

 次のクラスで御池に行ったが、どういう交通手段だったかは覚えていない。今回行った国道からすぐの水辺近くでキャンプしたと思うのだが、離れた対岸にキャンプ場が見えた。

 いずれにしても、今よりのんびりした学校の雰囲気で生徒も職員も心にゆとりがあったように思う。

 そのうちに県外でクラスキャンプする条件が特に厳しくなり事実上出来なくなった。引率は2名以上で、詳細な計画などが求められたと思う。そして県内のクラスキャンプも条件が厳しくなり困難になった。

 

 東霧島神社(つまきりしまじんじゃ)に寄った。霧島六社権現の中で最も東の端に位置していたので、「あづま」あるいは端(つま)が由来だそうだ。不揃いの石を積んだ石段を上ったが、下りは危ないので舗装された坂道を使った。

 以前に都城に来たときに行けなかった関之尾滝に向かった。ところが、施設の工事中で、入り口は閉鎖してあった。上流に下りる道を見つけた。多分台風6号のときの大雨被害だと思うが、多数の流木などが引っかかっていた。誰もいなかったが、どうにか滝だけは見られた。

 

 宿には15時過ぎには着いた。夕食で宮﨑牛を食すことはできたが、何となく人手不足のような感じがした。部屋に入ったら、座卓を端に寄せて畳んだ布団が置いてあった。食事の説明も5組を一緒に1人でしていた。朝食の時もご飯や味噌汁などはバイキングみたいに各自でつぐようになっていた。

 通行止めで迂回路に回って離合をアジア系の外国人の方に誘導してもらったり、道路面が分からないほどの豪雨で少々怖い目にも遭ったりした。高速代節約のため一般道を多めにして2日間で360kmくらい走行したが、日程としては余裕があった。

 

 今年の夏は久しぶりの花火大会も各地で行われたようだ。どこかは分からないが、遠くで爆発する花火の音が聞こえることがあった。

 地元でも夏祭りが公園で行われ、花火も上がるという話だった。7時過ぎに行ったら、立ち並んだテントの出店に多くの人が列を作っていた。特設の舞台ではいろいろな出し物もあっていた。交通整理の方に聞いたら、花火まで時間があるので一度家に帰った。結局片道徒歩10分くらいを2往復した。

 8時45分くらいから10数分間小規模の花火がうち上がった。打ち上げ筒ではなく、箱みたいなものに点火していくのを間近で見ていた。ほぼ真上に上がり、凄まじい音であった。鮮やかな光とともに火花が頭の上に落ちてきそうで、ビクついたり後すざりする人もいた。

 

 4年ぶりの熊本市江津湖花火大会もあった。自転車で向かう人を多く見かけたが、混雑の中に敢えて行こうとは思わなかった。

 花火の音が聞こえ始めたので、近くの歩道橋に行った。花火見物の人が30人くらい。子どもや赤ん坊を連れた家族も。1つ先の歩道橋の上にも多くの人。2つのマンションの間から見えた。4kmくらいは離れているので音がかなり遅れて聞こえる。普段より多くの荷重がかかっているせいか、人が歩くと歩道橋が揺れた。終わったかと思うとしばらくしてまた始まる。仕掛け花火は見られないが、いろいろな種類のうち花火を見ることができた。

 ふと浮かぶ50年くらい前の福岡での大学時代の花火のおぼろげな光景。前後のことは覚えていないが、道路下の土手であの人の横で見たように思う。

 

 教科書には炎色反応の例として花火の色が出てくる。Li(赤)Na(黄)K(赤紫)Cu(青緑)Ca(赤橙)Sr(紅)Ba(黄緑)とある。炎色の紅は深赤ともしてあるが、赤とは写真でも実視でも区別はつかない。高校生の時の化学の先生が言われた語呂合わせをそのまま授業で紹介していた。「リアカー、なき、K村、動力、借るとう、するもくれない、馬力」と。

 受け売りで、「金属塩を炎の中に入れて強く熱すると、金属原子中の電子が高いエネルギー不安定な状態になる。この電子が安定な低いエネルギー状態に移るときに、二つの状態の差のエネルギーを放出する。このエネルギーが光に変わるときに人間の感じる波長の場合が炎色反応だ」などと説明していた。

 

 9月になっても残暑は続くが、夕暮れが早まって夜と朝の温度が少し下がったように思う。秋だと実感するのはいつだろうか。ともあれ地球温暖化が進んだとしても四季はあって欲しいものである。

 

 

(熊本教育ネットワークユニオン true myself)