熊本教育ネットワークユニオン

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ゴジラも70年

ゴジラも70年

 

 1954年11月3日、映画「ゴジラ」が、そして69年後の同じ日付に新作の「ゴジラ-1.0(マイナスワン)」が封切られた。70周年記念としてあったが、正しくは70年目であろう。今年はテレビ放送開始や熊本県高教組結成から、そして私が赤ん坊だった6・26水害からも70年。

 1作目とその翌年2作目は私が幼児の頃の映画なので、映画館では観ていない。その後テレビなどで見たように思う。多分私がはじめて映画館で観たのは3作目の1962年の「キングコング対ゴジラ」からだろうと思う。

 

 小学生のとき新市街の新市街の東宝劇場に観に行った。保護者同伴ということで、父が仕方なく付き合ってくれた。母と姉は行かなかった。私以外はゴジラに興味は全くなかっただろう。二本立てで若大将シリーズと一緒だったと思う。加山雄三は若大将そして田中邦衛はライバルの青大将として30歳前後で大学生役をしたのではないだろうか。ヒロインは星由里子だった。今の映画館みたいに1映画毎総入れ替えではないので、映画の途中で入って座席が空くのを待ったりした。そして、2作通して全部見た。

 東宝劇場の入り口上に2匹の蝶のモザイク壁画があったが、新市街が全面アーケードになってから見えなくなった。海老原喜之助の原画を元にしたその壁画は熊本学園大学正門横の建物の道路側壁に移築された。その建物にある水俣学研究センターに行ったことがある。学校の人権教育講演会の講演依頼で原田正純さんを訪ねたが、日程の都合で実現しなかった。

 

 当初のゴジラの身長は50m、長い尻尾まで含めると体長は100mを越える。体重は2万トン。新宿新都心を破壊した時は高層ビルに見劣りしないように身長100m、体重6万トンになったそうだ。大映制作のガメラを観たとき、体長60m体重80トンで体重は250分の1であるのを不思議に思った。ガメラは動物の体重から、ゴジラは鋼鉄製の船の総トン数などから設定したのだろうかと思った記憶がある。こんな情報も昔なら図書館辺りで本を調べることになっただろうが、今はインターネットですぐに入手できる。便利ではあるが、いい加減でウソの情報も氾濫していることを意識したい。

 

 ゴジラはシリーズを重ねるうちに、目が大きくなり愛嬌ある顔つきになった。漫画「おそ松くん」のイヤミの「シェー」をしたこともあった。そしてますます非科学的になっていった。熱線を放射して後ろ向きに2万tの体が飛行したり、原子炉の核燃料を胸に抱くと放射能が吸収されて無くなったりした。そうこうするうちにゴジラの観客動員数は次第に減少していった。そして原点回帰なのか、ゴジラはの獰猛な顔に戻っていったように思う。

 映画ゴジラシリーズはハリウッド版も含めて35作くらいあるようだが、その8割くらいは観たのではないだろうか。大半のゴジラは着ぐるみで人が入っていたと思う。ハリウッド版GODZILLAは全作3DCGと実際の映像と組み合わせて加工したVFXが使われたようだ。日本版も近年はCGのゴジラになり、VFXを使うようになった。

 


 熊本地震のとき、熊本市内や近郊のシネコン(cinema complex;複合映画館)は長く休館になった。地震後初めて映画を観たのがシン・ゴジラだった。人物の台詞が多くて早口だったように思う。早く再開した宇城市シネコンに車で35分くらいはかけて行った。

 

 最新作は山崎貴監督が脚本やVFXを担当。山崎監督が携わった『ALWAYS 三丁目の夕日』の3作が描いた生活や町並みは、舞台が東京だとは言え私が生まれ育った頃と重なった。懐かしくもあり、その人間ドラマは胸にぐっと迫った。2作目では冒頭にゴジラが現れて意表を突いた。新作も戦争末期から戦後にかけての人の葛藤や情愛なども描かれていた。

 

 新作ゴジラを観て、とても気になることがあった。銀座でゴジラが口から熱線を放射したら、大爆発が起こりキノコ雲ができたことだ。ゴジラを下から見上げるとキノコ雲、そして黒い雨も降った。映画の中では触れてなかったようだが、核爆発のように思った。

 原子爆弾ウラン235プルトニウム239を高濃縮したものを化学爆薬で圧縮して核分裂の連鎖反応を一瞬で起こしたものだと思っている。ゴジラの口から放射する熱線は正確には「放射能熱線」というそうだ。放射線を出す性質がある熱線ということになるだろうか。新作では高純度の放射性物質の微粒子が吹き付けられ、高熱高圧によって核爆発が起こったという設定なのだろうか。ハッキリはしないが、架空ではあっても戦後の東京銀座で核爆発が起きるというのは気持ちの良いものではない。

 

 アメリカで映画「オッペンハイマー」と同時公開の「バービー」が大ヒットしているそうだ。バービーの髪型がキノコ雲のようになっているものや原爆投下の爆発を思わせる背景にオッペンハイマー役の肩の上ではしゃぐバービー役などの合成画像のアメリカでSNSに投稿された。映画「バービー」の米国公式アカウントが好意的な反応したことに対して日本で批判の声が殺到したことをニュースで見た。キノコ雲と言えば、どうしても原爆と広島・長崎が浮かんでしまう。映画会社は謝罪のコメントを出したようだが、原爆や原爆投下に対してはアメリカと日本では捉え方の違いがある。

 「原爆の父」として知られる物理学者ロバート・オッペンハイマーの生涯を描いた映画であるが、広島や長崎のことには出ていないようだ。日本での公開は未定だそうだ。

 

 40年くらい前、高校の文化祭で「にんげんをかえせ」「予言」などの作品の図書館での上映に携わった。「10フィート運動」(米国立公文書館に眠っていた被爆直後の長崎、広島を撮影したカラーフィルムを寄付で買い取るために始まった市民運動)によってできた作品である。

 経緯はあまり思い出せないが、担当の一員として私なりに積極的に動いたように思う。図書館に学校内などから借り集めた暗幕を協力して張った。映写機などを人吉城址にあった教育会館から借りて2台体制にしたり、借りたフィルムを人吉駅から送り返したことを覚えている。来場者はあまり多くなく、事前に地元の人吉新聞に紹介を依頼していたらと後悔した。

 

 これも昔から不思議だったのが、ゴジラが深い海でも立った状態の体を半分以上海面から長時間出せることだった。海面や水中を猛スピードで進める上にそんなことができるとは。人は立ち泳ぎをしてもそんなことはできない。長い尾を使って浮き上がっているのだろうか。

 


  初代ゴジラオキシジェンデストロイヤー(oxygen destroyer;酸素破壊装置とでもいうのだろうか)で骨だけになった。シリーズの中にはゴジラの皮膚にドリルで穴を空けて活動を抑制する薬剤を注入することもあったので、どうして砲撃などを受けても平気なんだろうかなんて思っていた。他の怪獣からの攻撃で皮膚などを損傷するようなシーンもあった。

 シリーズの後になるほどゴジラがダメージを受けて動けなくなることが多くなった。ハリウッド版の第1作で登場した恐竜みたいなGODZILLAは、多数のミサイル攻撃で絶命した。新作では損傷を受けてもすぐに再生する様子がCGで作ってあった。

 新作ゴジラの壊滅作戦の基盤となるのが水に浮く物体をフロンガスで包んで浮力を失わせるというものである。実際に起こることのようだが、その理屈が私には分からない。

 


 新作には震電という旧日本海軍が試作した迎撃戦闘機が登場した。機体後端にプロペラがある特異な形状の機体と名前に覚えがあった。中学生の頃だとは思うが、旧日本軍などの飛行機の白黒写真集を見た。もちろん零戦や隼や一式陸抗などの有名な機体もあったが、試作機などもあった。ジェット推進の橘花やロケット推進の桜花や秋水などがあった。

 


  いろいろと難癖をつけてきたが、空想で虚構と分かっているから娯楽作品として成立する。漫画やアニメそれに映画やゲームもバトルものが人気のようだ。あり得ない超能力や体力を持った超人やヒーローなど出てくる。平然と観られるのは現実から余りにもかけ離れているからである。いずれにしてもゴシラの映画をこれからも観ていくことになるだろう。

 


(熊本教育ネットワークユニオン true myself)