熊本教育ネットワークユニオン

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バスカードと年賀状

バスカードと年賀状

 

 高齢者割引のバスカードの手にして1年近くになった。最初は使わなかったが、半年後くらいから時々使うようになった。するとバスや市電の降車時の料金表示額が少なくてチャージ残額があまり減らないような気がした。なんかおかしいなと思っていた。更新をしなくて良いのかと気になったので市のHPを見た。どうも障がい者の割引のようである。ちなみに更新の必要はなく、カードにも期限なしと書いてあった。

 そのままにしておけば得ではあるが、なんだか気持ちの良いものではない。昨年末に市役所の総合出張所の窓口に行った。「これは障がい者の方用じゃなかですか?」と言ってカードを差し出したら、係の方が驚かれた。確認をされたら、やはりカード発行の誤りであった。その場で再発行して、2人の職員の方が頭を下げられた。チャージ残額はそのまま残っているとのことであった。

 

 今年も年賀状のやりとりをした。元日にはこちらから年賀状を出した方の7割くらいの方から賀状をいただいたように思う。松の内にはまた届くだろう。毎年、年賀状終いとされる文面をいただくようになった。今年も3人の方からいただいた。私もそのことを考えている。

 何年か前から姉とはお互い年賀状は出さないことになった。元日にはどちらからか電話をしている。私の誕生日には姉から、姉の誕生日には私から電話している。誕生日が一月違いの同じ日なのでお互い忘れない。自分の誕生日を忘れていることもあるくらいだから、お互いの誕生日になっても気付かないこともある。何回か電話を翌日にしたこともあったように思う。今年は私から電話したら、母の13回忌の話になった。

 

 定年の時までは転勤挨拶のハガキも出していたが、臨採や非常勤では出さなかった。以前は年賀状も学校の同教科や同学年の方にもかなり出していたが、特に非常勤になってから少なくなった。去年まで勤務していた学校は虚礼廃止ということで同教科の方とのやりとりはしなかった。今では一番多く出したときの半分くらいにはなっただろう。

 随分昔は表の宛先も裏の年賀挨拶も当然手書きだった。30代の頃は年賀の挨拶を印刷所に何回か頼んだように思う。PCのワープロソフトで挨拶を印刷するようになったのはいつからだっただろうか。

 いただいた年賀状を見ると、皆さん毎年いろいろと考えて工夫されている。物ぐさな私は同じ挨拶文の使い回しである。文だけからソフトにあったイラストを付けるようにはなった。そのうちインターネットで干支の無料イラストを探すようになったイラストのスペースを空けただけで文字の配置や字体は同じだったが、近年は文言や字体をインターネットから探したものに替えた。

 宛先を差し込みファイルを使って住所を印刷する方法を習って印刷したこともあったが、また手書きに戻った。前年の年賀状を見て住所や氏名を書き写すのにとても時間がかかった。

 今年いただいた年賀状の8割くらいはプリンター印字だったように思う。いつからだったか覚えていないが、私もワープロソフトの付属ソフトで住所を印刷するようになった。ここ8年くらいはソフトの住所録に送受を記録しているので、前年の年賀状を見なくても短時間で作成できるようになった。以前は仕事納めの日を過ぎて投函することもあったが、近年は余裕を持って出している。

 昔は家族連名で出していたのが別々になったが、宛先とイラスト探しを含めた年賀挨拶の印刷は妻の分も私がしている。

 こちらから出しても来なくなった方もおられる。年賀状終いとされたのかもしれない。遅く年賀状が来る方もそういう気持ちかも知れないと出さなかったら、また来ることもあった。今年も10年以上やりとりをしていない方からいただいた。

 今年はハガキも封書も大幅値上げになるようだ。ますます郵便離れが加速しそうだ。昔は年末年始には普通の年賀ハガキはコンビニなどでは売り切れていたが、今年はすぐに買えた。少し味気ない気もするが、年賀状終いも兼ねてLINEかメールにした方が良いようにも思う

 

 新年早々元日に能登半島地震熊本地震を思い出すが、それ以上の規模で日に日に甚大な被害の状況が明らかになっている熊本地震は4月だったので、車中泊もできた。今回の能登半島地震は冬1月、しかも豪雪地帯の北陸で交通は寸断されて燃料不足に停電や断水。避難生活はもちろん自宅生活も格段に厳しいだろう。想定されている南海トラフや首都直下などの巨大地震が起きたらどうなってしまうのだろうか。

 2日には羽田空港で航空機の衝突炎上事故。海上保安庁機の乗員の方は残念であったが、旅客機の乗客・乗員が無事脱出できたのは奇跡だと報道されている。本当に危機一髪だった。テレビを見たとき旅客機の胴体の2つの窓から炎が吹き出していた。消防車が化学消火剤を放射してたが、火の手は収まらない。次に見たときには胴体全体が火に包まれて、ついにはその形をとどめないまで燃え尽きた。乗客の荷物も全部燃えてしまった。

 航空機の機体の材質と言えば、ジュラルミンのようなアルミ合金が思い浮かぶ。今回のA350の胴体部には炭素繊維強化熱可塑性樹脂という複合材料が採用されているそうだ。高価ではあるが、軽くて丈夫で加工しやすいのだろう。炭素繊維は燃えにくいそうなので樹脂が燃え続けたのだろうか。灯油に近いとされるジェット燃料はガソリンなどより発火しにくいだろうが、一旦火が点くとあのようになるのだろうか。

 オスプレイは機体の欠陥よる墜落で飛行停止になったが、旅客機の墜落事故は最近あまりないように思う。墜落しなくても、このような事故があるとは想像もしなかった。

 正月から相次いで衝撃的な光景を目にした。戦争は終わらない。気候変動は大きくなる。それでも明るい展望が少しでも見える年になって欲しいものである

 

(熊本教育ネットワークユニオン true myself)