熊本教育ネットワークユニオン

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2023年度交渉を終えて~往復メールほか~

2023年度の交渉の成果について様々な方々から反応がありました。そのいくつかを紹介します。内容を変えない範囲で表現を変更したり、固有名詞や地名をアルファベット表記にしました。

 

往復メール

 AさんからKに 

 交渉結果をお教えいただきありがとうございました。早々のお尋ねですが、昨日職員会議に参加しまして、保健部より職員健康診断の説明がありました。心臓検診、血液検診、結核検診、一般検診の項目で、「全職員対象」とありましたので、「非常勤講師も対象ですか」と担当者にお尋ねしましたら、「会計年度職員です。非常勤職員は対象外です」との回答がありました。

 そこでお尋ねですが、「非常勤講師はなぜ対象外ですか、また、会計年度職員ではないのでしょか。」です。

 年度初めの「健康診断書提出の不要」は助かりました。

KからAさんに

 県の回答は「短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律」を受け県立学校職員健康診断実施要項では会計年度任用職員の健康診断は任期が一年以上または最後の任用により一年以上に任用されることが予定予定されている者の次に該当する者を対象としております。まず一つ目ですが、週あたりの勤務時間が29時間以上のもの、2つ目は週あたりの勤務時間が20時間以上の者のうち健康診断を希望するものとなっております。なお一つ目の週あたりの勤務時間が29時間のものについては義務であり、2つ目の週当たり勤務時間が20時間以上のものについては努力義務とされております。したがって条件に該当する非常勤講師の健康診断の実施は可能ですが、今年度健康診断の受診対象となる非常勤講師はおりませんでした。」です。

 それによると、職員会議での応答者(養護教諭)の「会計年度職員です。非常勤職員は対象外です」は間違った表現です。まず、「非常勤講師は「立派な」会計年度任用職員です」。従って回答は、「非常勤講師も条件を満たす者には健康診断はあります。でも、今年、県内の非常勤講師で条件を満たす方はおられません」と答えるべきでしょう。

 つぎの「なぜ非常勤講師には健康診断がなにのか」は、いまのところ「きまり(短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律やその施行規則)」の縛りです。そこを変えさせるように、あるいはそれがあっても実現するように、今後も取組みをすすめていきます。

AさんからKに

 お世話になります。お手数おかけしました。

 今年度からの健康診断書提出不可は大変助かりました。12月の健康診断(人間ドック)の書類を診断書提出に認めて頂けないかと事務に相談しましたが、県の3カ月以内の規定があり、再提出をお願いされました。そんな経過もありましたので。

 給与、7日実施の実現をお願します。

A

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お便り

Bさんから

こんばんは、XのBです。来年度も非常勤でYに勤めます。今日、志願書等をいただきましたが、今年から宣誓書と身体に関する証明書(健康診断)が不要になりました。健康診断は5000円ほど要していましたので大変助かります。組合の交渉の成果に御礼申し上げます。交渉内容の論理展開も素晴らしかったとニュースを見て思っていました。本当にありがとうございました。

B

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お便り

Cさんから

おはようございます。

交渉の回答拝見しました。

ご苦労様です。

 教職も人材不足なのに理不尽な、不可解な案件が多いのに驚いています。現場の不満を問題提起して働きやすい職場の改善策を執念深く求める事が肝心だと痛感しました。

C

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お便り

Dさんから

K様

いつも活動お疲れ様です。交渉で前進するとりくみに敬意を表します。本当にありがとうございました。 

D

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お便り

Eさんから

 少しずつ成果が、上がって来ていますね。成果を生かしす、非正規の皆さんにこの間の過程が伝わっているか、心配ですが?要求無くして前進なしのはずが、成果や賃上げは政府が与えくれるものと思っている気がします。

E

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「イワンの馬鹿」の平和思想

      

        「イワンの馬鹿」の平和思想

 

            (1)

 春休み中の一日、肩の凝らない読み物を求めて「イワンの馬鹿」のページを繰りました。過去にも2度、3度と読んだことがあったのですが、トルストイがロシアの民話をまとめたものという程度の認識でした。内容に関しても似たような理解でした。すなわち働き者のイワンが、しくじってばかりの兄たちを助けてあげる話だと。馬鹿と言われてもいい、無骨な生き方でもいい、手足を使い、額に汗して働くことの尊さを教えてくれる民話であると。しかしそれはこの物語のほんの一面に過ぎないことを知りました。

 

            (2)

 結論から言えばこれは、戦争否定とカネ万能主義(資本主義)への警告であることは間違いないと思います(どの解説書にもそう書いてあります)。藁で兵隊を作る、木の葉から金貨を拵えるなどという設定そのものが、作者の価値観を示していると読み取れます。しかし読み進めていくうちに、トルストイさんは自由や平等、信仰や人間愛を、平和の象徴として作品に込めたのではないかと思うようになりました。老悪魔や小悪魔たちが登場して次々に悪さを仕掛けます。欲に溺れた兄たちはあっさりと攻略されるのですが、イワンだけは誘惑に乗ってこない。それどころか、鎌で茂みを刈っている時に小悪魔のしっぽを切り落としてしまうのです。この細かな演出にも、作者の確かな意図を感じることができます。もう一つ。作者は空飛ぶ軍隊を登場させています。調べてみたら、この本が書かれたのは1880年代。あのライト兄弟が初めて空を飛んだ年よりも10数年早いということが分かりました。つまり、戦争はいずれこうなるだろうという予見が、作家の頭の中にあったのではないでしょうか。

 

            (3)

 現代のプーチンは、祖国の大文豪が残してくれた知恵をどう受け取るのでしょうか。カネまみれの中で軍拡を進める日本のリーダーたちには、このメッセージが伝わることはないのでしょうか。まさか自分たちが、いみじくも滑稽な姿でこの本に描かれていることなど彼らは知る由もないでしょう。政治家を批判することは簡単。ですが、一読したぐらいで賢らぶって論評する気分でもありません。おそらく文豪が一番伝えたかったこと、「馬鹿はどっちですか」ということを確認しておきたいと思います。

 

(注)テキストは「トルストイの民謡版画集」(北御門二郎訳、地の塩書房・1986年)を使いました。版画は当時の宇土高校の生徒たちが担当しています。

                       ~~オウシャン・セイリング~~

じいちゃん業務 3

じいちゃん業務 3


 孫を保育園から連れて帰り孫の家につくと、「お父さん、ちょっと。」孫の母親(私の娘)が言う。「なんか?」「ラジコンカーが変だから。見てもらえないかな」。方向を変えられないのだった。前後には動くが方向がかえられない。これではすぐ壁にぶつかってしまう。人間も壁にぶつかってしまうだけでは、面白くない。それはおもちゃでも面白くないなあ。

 
 おもちゃだけど、 自分は直せるかな?無理ではと思いながらも孫が困ってなら、なんとかしてやりたい。
 方向替えるための左右のレバーを押すと唸り音はするが、タイヤの向きは変わらない。左右には動かないのだ。レバーを倒すとうなり音がするので、これは電気系統ではないなとホッとする。電気系統なら基板を扱うことになる。IC化されとるだろうし、回路図も得にくいだろうし。無理だ。だが、部品ならなんとかなるかもしれない。うなりということは、モーターは回ってるが、その動力がタイヤの動きにつながってない。車体を振ってみると、音がする。なにか外れているようだ。中を見よう。でもどうして解体できるかな。車体カバーを3箇所とめてあるが、その留め具には、ヘアピンの超小型のものが、ささっているぞ。こんなものどうして外すのか。耳糞をとる部分(ヘアピンの場合。耳かきの代用品としたことがある)を引っ張るが抜けない。まて、引っ張り抜けてもまた、このヘアピンを元におしこめられるか。それは無理だな。となれば、これは違うな。留め具そのものを引っ張ってみるか。おお、なんか動いたような。留め具ははずれた。あと車体はネジで、つなぎ合わせているだけのようだ。ネジを外すのはなんとかできる。この小ねじをはずすドライバーが孫の家にはあった。車体あけると、中に歯車がある。この歯車がなぜかモーターから外れていたようだ。だからモーターの動力がタイヤに伝わってなかった。2つ歯車が外れている。どのようにこの歯車を配置するのか。歯車のかみ合わせを頼りになんとか装置した。よくできたな、と自画自賛。これで動力は伝わるはずだ。カバーも装着し、レバーを引いた。あれ動かないぞ。なんで。あら、車体のスイッチが入ってなかったのだ今度は。スイッチいれてラジコンの左レバーを倒す。タイヤが左に動く。右にも可動。良かった。なおったぞ。孫がやってきた。

 どや顔で渡す。孫が床に置きラジコンのスイッチいれる。なんとタイヤは左右に動かない。なにか、調整したはずの歯車が噛み合わず滑っているようだ。「なんだ、動かないじゃん」。えーなんで。車体取り上げてラジコンの左右レバーを引くとタイヤは動く。ところが床においてレバーを引くととたんにタイヤは求めた動きをしなくなる。なんで。歯車が空回りしているようなのだ。どう考えてもわからない。とはいえ、家では夕食をつくらないといけないのだ。仕方ないから家に持ち帰ってなおすか。
 ほうれん草をレンジで温め、豚ミンチと牛肉を塩コショウ使い炒め、それらを、湯がいて柔らかくしておいたキャベツで巻いて、キノコと人参とともにスープの具とする。チキンコンソメと魚の出汁を混ぜて味をつける、ロールキャベツシチュー風。
 ビールを飲まなければ読書ができる。重松清のトンビ。ヤスさん、息子アキラが無視する。たえこねーさんや、まわりからモテまくりの息子アキラへの愛がいいな。
 と、ラジコンカーがあった。タイヤに負荷がかかると、なぜ動力が伝わらなくなるのか。動力を伝わらなくさせているのはなにか。車体を見ると少しのすき間があった。このすき間は、動力切断と関係するかも。ネジの締め付けが甘いかもしれない。ネジ締め付けてるのだけど。車体カバーを外すともう一つネジがある。これか。ネジ回してみる。回るなあ。これ以上は回せない。すると、車体のすき間もなくなった。
 かくして、床に置いてもタイヤは左右に動くようになった。よし、孫も喜ぶだろう。安心して風呂にはいりまだ11時だけど、床にはいる。目をつぶって数秒。気がつけば、午前一時。トイレいって、また目をさめるのが6時20分。昨日の味噌汁すこし残ってたので、じゃがいもは加えず、白菜とトーフと味噌を加えて簡単な味噌汁。朝のフルーツ。バナナは賞味期限ギリギリの三割引きのを買っていた。
 午前7時40分、孫の家に向かう。孫は母親とゴミ出ししていた。「お、役に立っとるね」。「なんとか直ったぞ。」「どこが悪かったと」「ネジがゆるかった。もともとは歯車が取れとった」「ゆきちゃん、直してもらったよ」孫(小3、保育園児と別の孫)は動かした。私にお礼の言葉もなく。ま、いいよ。直せただけで私も嬉しい。孫を保育園に届け、さあこれからテニス。
 ところがまたもや、左右のタイヤがガクガクとまたもや、正常にまがらない。またもや。いい加減にせーよ。しかたなく、持ち帰り考える。なにか?左右にタイヤは動くが、前後進させて左右レバーを押すと、きちんと動かずガクガク。これは、電池の電圧が落ちてるからではないか、朝はやくコンビニに買いにいき、デイリーまだあいてなく、セブン。電池取り替えると、正常になった。「三日ぐらい前に電池換えてやったのに」。娘は嘆く。
 単四のこの小さな電池3本で、電波飛ばしタイヤを前後左右に動かしてるのだから重労働してるのではないか。人間にも電池にも労働過多はあまりよくないという結論で。

(M)

 

 

「滄浪之水清まば」

     「滄浪之水清まば」

屈原既放游於江潭、行吟沢畔。顔色憔悴形容枯槁。漁父見而問之曰「子非三閭大夫与。何故至於斯」屈原曰「挙世皆濁、我独清。衆人皆酔、我独醒。是以見放」漁父曰「聖人不凝滞於物而能与世推移。世人皆濁何不淈其泥而揚其波。衆人皆酔何不餔其糟而歠其釃。何故深高挙自令放為。屈原曰「吾聞之。新沐者必弾冠、新浴者必振衣。安能以身之察察受物之汶汶者乎。寧赴湘流葬於江魚之腹中、安能以皓皓之白而蒙世俗之塵埃乎。」漁父莞爾而笑鼓枻而去。乃歌曰「滄浪之水清兮可以濯吾纓、滄浪之水濁兮可以濯吾足」遂去不復与言。

 屈原は国を追われて川や淵をさまよい、川辺を歩きながら詩を吟じた。その顔はやつれ果て体はやせ細っていた。老漁師が屈原を見てこう聞いた「あなたは楚の国の高官ではありませんか。なぜこんなに落ちぶれてしまったのです」と。屈原はそれにこたえて「世の中の者はみな汚れていて、私だけが澄んでいる。みな酩酊しているが、私だけは覚めている。だから私は追われたのだ」と。老漁師はこう言った「聖人というものは物事に拘らず、世の移り変わりとともに自らも変わっていくのです。人がみな汚れているならどうしてあなたも泥水で汚れた波を立てようとしないのですか。みなが酔っ払っているならどうしてあなたは酒糟を食べその酒をおおいに飲もうとしないのですか。なぜ思いつめて自分のみ清しとし、追われてここまで落ちぶれてしまったのです」と。すると屈原は言った「私はこんな話を聞いたことがある。髪を洗ったばかりのときは必ず帽子の埃を払い、体を洗ったばかりのときは必ず衣服の汚れを振るうと。どうしてさっぱりとけがれのない体を不潔きわまりないものでよごすのか。そんなことをするならいっそ湘江にとびこんで川の魚の餌になったほうがましだ。どうして白く輝く純潔を世俗の塵埃でよごすのか」と。老漁夫は屈原の言葉を聞くとにっこりと笑い、船の櫂で船端を叩きながら離れていった。その歌声が聞こえてきた。「滄浪(川の名)の水が清らかなら、我が冠のひもを洗うことができよう。滄浪の水が濁っているなら、我が足を洗うことができよう」やがて船は遠ざかり、漁師がまた屈原と語り合うことはなかった。(「漁父辞」より)

 

紀元前278年、楚の都「(てい)」が秦に滅ぼされると、五月五日、高潔の士「屈原」は汨羅(べきら)に身を投じたという。高校時代に学習したときは、なるほどと感心した。   しかし、令和の今、政治は澱み濁りきっていて、汚れた足を洗うことさえも出来ない。

                            (Trout 2024.4.7)

編集者注

たしか、高校での「漢文」で学んだか?思い出したい人は、

https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%8F%A4%E6%96%87/%E6%95%A3%E6%96%87%E3%83%BB%E8%AA%AC%E8%A9%B1/%E6%BC%81%E7%88%B6%E8%BE%9E

をクリックしてください。

端午の節句」が屈原と深い関係があったとは・・・・。また一つ学んだ。

 

「イラストAC」(無料)よりダウンロード

 

もう交換?

もう交換?

 

 車の12ヶ月点検をディーラーで受けたら、補機バッテリーが「C要交換」と判定された。1週間くらい前に初めて立ち寄ったコンビニから道路に出たとき、間違って歩道の縁石の段差が大きい所を通ってしまった。右折することばかりに気を取られていた。車体下に強い衝撃が2回した。リアバンパーの下の塗装が傷つていた。タッチペンを塗って目立たなくはしたが、少々ガッカリしていた。

 点検でボディの下回りは大丈夫ということだったが、補機バッテリーに加えてタイヤも溝はあるものの劣化してきていると言われた。なんだかあまり気分の良くない3月後半であった。

 

 同じ車名の車を3台続けて乗り継いでいる。世界初の量産ハイブリッド自動車となった初代の後期、3代目の前期、そして4代目の後期が今の車である。

 1台目をある時スーパーに駐めて戻ってきたら、ワイヤレスのドアキーに反応がない。ドアをキーを差し込んで開けてら、今度はエンジンが起動しない。突如バッテリーが上がってしまったようだ。自動車保険と提携している業者に来てもらった。起動に使ったバッテリーを内蔵したジャンプスターターを初めて知った。次の車を注文していたので、ディーラーで中古バッテリーと無料で交換してもらえた。

 燃費は期待したほどではなかった。初のAT車だったが、加速や上り坂などで力強さを感じなかった。市街地での燃費は以前の車と大して変わらない。郊外でも、たまに良い燃費を示すくらいだった。

 

 2台目は納車まで8ヶ月くらい待ったほどの人気車だった。乗り始めて半年ほどした朝の通勤中に追突事故に遭った。教頭から勧められて一応病院に行ったが、鞭打ちなどの異常はなかった。全額相手の保険で修理することになった。ディーラーでバンパーやトランク部分などをそっくり交換したので、修理に相当時間がかかった。排気量も車重も1台目より大きくなったが、力強さや燃費も向上した。

 

 今の3台目は2台目と同形式のエンジンで車重やタイヤサイズも変わらないが、燃費は一段と向上した。ニッケル水素電池だった駆動用バッテリーがリチウムイオン電池替わり、動力制御も改善されたのだろう。モーターの可動領域が増えてエンジンがかかる頻度が減ったようだ。なんだか力強さも増したように思った。

 

 ハイブリッドだからと思い、3台ともタイヤ交換以外の整備や点検はディーラーでしてきた。以前は、オイル交換や点検などはカーショップなども利用していた。最初に乗った車は中古でエンジンルームも隙間だらけで、オイルや点火プラグやラジエーターの不凍液それにバッテリーの交換も自分で一度はしてみた。

 今は隙間無く電子機器の塊みたいになっていて、触る気にはならない。ボンネットを開けることもほとんど無くなった。自分ですることと言えば、ウィンドウウォッシャー液の補充やワイパーのゴム替えなどくらいになった。バッテリー液の補充もハイブリッドの前の車まではしていたので、押し入れの中に液のボトルが残っている。

 

 補機バッテリーは3台とも従来の鉛蓄電池である。寿命は一般的に3年くらいと言われているようだが、前の2台は点検を受けながら10年くらい交換しないで済んだ。年々性能も上がっているだろうに、今の車の4年では早すぎると思った。それでも突然ストップしたら困るので交換することにしたが、在庫がなかったので1週間後くらいになった。

 大学卒業以来初めての無職の1年間。通勤をしなくなったので、当然走行距離は減った。できるだけ動かすようにはしているが、短距離である。カーナビなどの電装品に加えて運転支援装置に伴うセンサーやカメラなども付いてバッテリーの負担は増す一方である。個体差はあるだろうが、劣化が進んだ要因でもあるだろう。

 

 点検の時に早めのオイル交換も考えたが、止めておいた。1回の料金がかなり高くなっていた。1回当たりがかなり割安になるオイル20Lのボトルキープ料金は昔の2倍近くになった。カーショップでもそんなに安くないし、バッテリーも相当高かった。車を維持するのも大変である。

 次に乗り替えるとするなら、運転支援装置が充実した軽自動車も良いし、そのうち義兄のように免許返納することになるかもしれない。

 

 時々旅行する以外はあまり変化のない日々を過ごした。無職だと年度替わりという感じもあまりしないが、朝ドラは替わった。前作の主人公は笠置シヅ子がモデルであった。聞いたことのある歌もあったが、初めて聞くものもあった。淡谷のり子服部良一などをモデルにした人物も登場して興味深く飽きずに観ることができた。

 今度は初めて知る三淵嘉子がモデルだという。日本初の女性弁護士の1人であり、初の女性判事および家庭裁判所長となったそうだ。法曹界の歴史の一端を垣間見ることになるのだろう。また観続けていくことになる。

 

(熊本教育ネットワークユニオン true myself)

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