熊本教育ネットワークユニオン

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もう4月、桜が満開

もう4月。近くの公園に行くと桜が満開である。

新年度に入り、多くの非正規公務員が新たに仕事を始める。

西日本新聞社説に非正規公務員を取り上げてある。

【社説】非正規公務員 給与抑制の対応は悪質だ

3/31(日) 9:02配信

 自治体の非正規職員(会計年度任用職員)はいくら専門知識を持ち、住民に信頼されていても、低賃金と不安定雇用を余儀なくされる。この年度末不本意な雇い止めに遭う人がいる。

 非正規職員の働きなしに、自治体の仕事は回らない。首長や議会はよく分かっているはずだ。待遇の見直しを強く求める。

 昨年4月時点の会計年度任用職員は約66万人で、3年間で4万人近く増えた。全職員の半数近い自治体も珍しくない。その多くは女性だ。

 担う仕事は多岐にわたる。一般事務だけでなく、図書館司書、保育士、スクールカウンセラーのように知識や経験が求められる分野が少なくない。プライバシーに関わる住民相談にも携わっている。

 日頃から正規職員と変わらない仕事をしているにもかかわらず、平均年収は220万円台という労働組合の調査結果もある。仕事の内容と責任に見合う額とは言えまい。

 非正規職員の大半は、国が待遇改善のため2020年度に導入した会計年度任用職員に移行した。同年度からボーナスの期末手当が支給され、24年度からは勤勉手当も加えられることになった。

 ところが待遇改善に反する動きが出ている。総務省によると、全国の139自治体は勤勉手当を支給する代わりに月給や期末手当を減らす予定だという。

 減額幅は自治体によって異なり、新たに勤勉手当を受け取っても年収が変わらない事例もある。賃金を不当に抑える悪質な行為だ。

 それだけではない。23年度途中に決まった公務員給与の引き上げでも、正規職員は年度初めの4月にさかのぼって増額したのに、非正規職員は24年度に先送りする自治体が確認された。

 民間企業では人手を確保する目的もあり、賃上げをパート労働者にも適用する動きが目立つ。自治体の対応とはあまりにも対照的だ。

 自治体が非正規職員を増やしたのは厳しい財政事情による。人件費を削るために正規職員を減らし、非正規職員に置き換えた結果が今日のいびつな状況である。

 雇い止めも問題だ。会計年度任用職員の任期は1年以内で、自治体の裁量で再雇用できる。多くは継続雇用を制限しており、設定された期間が過ぎれば、試験に合格しないと仕事を続けられない場合がある。

 特定業務に精通した職員の不安定雇用は、公共サービスにしわ寄せが及びかねない。

 非正規職員の現状に問題意識を持つ自治体は、月給を引き上げたり、正規採用の門戸を広げたり、独自の待遇改善に取り組んでいる。こうした動きを広げたい。

 雇い止めで生活に困窮する人もいる。住民の暮らしを守るべき自治体が、雇用している人の生活を守れない。そのような矛盾はなくすべきだ。

一般職と同じように、差額支給はあったのだろうか。請求した時間は削減されなかっただろうか。

多くの問題が、解消されることを望みたい。

要求実現 通年雇用

2023年度まで学期毎任用を行ってた会計年度任用職員(介助員・調理員・特別支援学校サポーター)が通年雇用となりました。

以下文書(2種4ページ)をご覧ください。

質問はユニオン迄。







 

今日の新聞みて!驚いた 

今日の新聞みて!驚いた 

「紅麴」の中の原因ではないかと会社が思っている物質はプベルル酸と新聞に書いてある。構造式を見て仰天。一言「トロポノイドではないか」。

早速「大有機化学13巻(第8版)を引っ張り出す。大有機化学はこの13巻のみを所蔵している。

ああ載っている。ただしプベルリン酸となっている。同じものである。

高校までは「亀の甲羅」のベンゼン有機化合物の中の芳香族化合物の中心である。大学に行くと化学を学べばトロポノイドに出会う。

更にその化合物に魅力を感じるものもいる。

プベルル酸

上に HOーが3個とーC=Oがあるが、ここらあたりが面白いところで、多分ーC=Oの場所はその4カ所のどこかにあるようなないような不思議なやつだろう。数学の世界では左右対称ではないが、この平面分子は左右対称ではないか?

ヒトが何人もなくなっている事件だが、構造式に驚いた。

なお、アオカビ(数種のアオカビ)には1930年代~50年代に少なくとも4種のトロポノイドが見出されているという。

 

随分、以前から研究が進められてる。この分野の研究は日本は世界でもかなり進んでいるようだ。

原因の特定や治療法の研究に期待したい。

注)下の表は「大有機化学」13巻から。

ジャスミンが満開

 ジャスミンが満開

 

       (1)

 今日も野道を歩く。この時期、田園地帯は一面の若草色だ。記憶を辿れば、昔はどこの水田も赤紫色に覆われていた。各農家がレンゲ(蓮華草)を植え、これを緑肥として育て、打ち起こし、やがて来る苗代作りや田植えに備えていたのであった。最近は蓮華を見ることが少なくなった。代わって、ホトケノザ(仏の座)が繁茂する。花の色はこちらも同じ赤紫である。畦道ではカラスノエンドウ(烏の豌豆)が存在を誇示している。これもまた似たような花の色だ。よく見ると、どの株も先端から4,5センチのところで枝分かれしているようだ。隣どおしで絡み合い、そしてその先端で巻きひげを三つに分けて風に揺れている。植物事典によると、仏の座はシソ科。他の二つはマメ科だそうだ。花の色と科・属は必ずしも一致しないことを知った。

 

       (2)

 わが思考が迷走を始める時、またはその行先が見えなくなった時、たびたびこの本に頼ってきた。今日もページを開く。するとこんな言葉に出合う。

 

「人々は誠実になることは教えられないで、その他のすべてを教えられる。そこで彼らは、その他のことについては何か知っていてもさほど自慢しないが、誠実な人間であることについては大いに自慢する。」(パスカル『パンセ』68松浪信三郎訳、河出書房)

 

 なるほど。自民党のお偉い方々が、政倫審の場で胸を張って「自分は関わっていない、知らなかった。」と主張する。嘘が垣間見えているのに、強弁すればどうにか逃げられると思っているのだろう。裏を返せばこれは、誠実な政治家であれということを教えられなかったが故の科白(せりふ)なのかもしれない。胸に手を当てて「本当のことを申します。一連の流れは全部私が指示をしたことです。」と、一人ぐらいは言えなかったものかと思う。一時的には不利益を被っても、その正直さが却って好感を得ることにつながるのではないか。疑惑を招いた責任はもちろん本人にある。本人が悪いことは否定できない。だがもっと悪いのは、その疑惑や悪事を生む原因(もと)となっている、今の法制度とそれを悪用する自民党の体質なのだから。

       

       (3)

 わが家ではジャスミンが満開だ。いや満開を迎えた時、激しい風雨に晒されて花びらが乱れるように散った。幸いに後から後から蕾が膨らんでくるので、まだ暫くは咲き続けてくれるだろう。

 時が満ちれば花は咲き、時が過ぎれば花は散る。驚くことでも何でもない。人もまた同じだから。ただ人は、花のように無心になれない。流転の速さに驚き、移り行く日々を何とか留めようとあがいたりもする。しかしやがては、それらも永劫の時間の中に吞み込まれてゆくのだろう。せめてそれまでは夢や希望を語っていたい。また、春の愁いに浸っていたい。

(著者注:植物名はカタカナで表記するのが普通ですが、特徴が見えにくいのであえて漢字を付しました。)

                      ~~オウシャン・セイリング~~



 

じいちゃん業務2

じいちゃん業務2


    孫は可愛い。だが、それは自分と命がつながっている(とは言えそのことを確認する実感はない)のと、共に過ごす時間があるからではないのだろうか。自分には可愛くても他人には必ずしもそうではないと思う。だが、他人にも可愛くみえるだろうと思ってしまう人もいるようだ。孫の写真を何度も見せられ「かわいいですね」とは言うものの心のなかではかんべんしてよと言いたい人もいる。


 孫の保育園への送迎をたまにする。「昨日の昨日おやつはクッキーだったよ」一昨日という言葉はまだなく、それは昨日の昨日である。一昨昨日は、昨日の昨日の昨日である。その前は昨日の昨日の昨日の昨日である。なにか、新鮮さを取り戻してくれるなあ。
 初めて迎えに行ったころ、まだどちらも慣れてなく、20分ほどか、園からの帰り道二人黙々とチンタラちんたら歩いた。暑い夏私の影に入って暑さをしのぐこと、「じいちゃん、先に行って」。たまたまミカンの小さな実を見つけて「お、ミカンがなっとるぞ。ほらあれっ。」「後で大きくなるの?」。少しずつ会話がでるようになった。それから、いつの間にか車で迎えにいくようになった。「じいちゃんトシはいくつ?」「71」「たいちゃんはいくつと思う」「6歳」「すごいね、よく知ってるね」いや年長だから、そうなるけど。「すごいだろう」
「じいちゃん、おにぎりはお菓子なの」「いや、お菓子じゃないと思うけど。なんで」「この前おやつはおにぎりだった」なるほど、おやつはお菓子である。間違ってないぞ。その時のおにぎりはお菓子だ。でもいつものおにぎりはお菓子じゃないぞ。
 「行きたくない」車からおりようとしない。「なんでか」「体操教室のとき鉄棒がある。」「五回ぐらい体操教室があって三回目に鉄棒があって(左手の中指を右手で指しながら)今日はここ」と小指をさす。よく覚えてるなあ。そんなにいやなこと?でもなあ、じいちゃんは行かせないことはできないのだ。行かない気持ちは取り合わず先に園の方に歩くと彼はしぶしぶ来る。なんとか2階の教室まできて、ロッカーの前で、グズグズとしている。「今日の給食は、野菜のクリーム煮、サラダぞ。」園ノートに出席シールを貼るのも遅いなあ。さっきのはよく聞こえなかったのか、「給食何だった」とは聞いてくる。食べるの楽しみならいいぞ。やっと、みんなが集まる教室にいく態勢ができた。ところが、教室には入らず、しれっと階段を降りる。逃げ出すつもりか。おっと逃がすわけにはいかない、最悪なら捕まえて担いでも教室につれもどさないと。といってもあわてた素振りはみせず淡々と孫のあとを追う。一階におりると、職員室の前にたまたま担任のトモエ先生。「あらたいちゃんどうしたの」あえなく、先生に捕まり教室にもどった。担任の先生には逆らえないとさとってはいるような孫であった。よしこれからテニスができる。
 テニスを楽しみ昼飯もたべ、音楽を楽しみそして孫を迎えの時間。ムスッとしてるか、泣いているか。迎えにいくと、にこにこしている。「鉄棒なかった。遊びが三つあった。たいちゃん鬼になったと思う。?」顔を見て、「ならなかった。」「ピンポーン」「鬼の周りを回って捕まえられたら鬼。捕まえられないのが何回だったと思う」「4回」「ブッブー。12回」
「たいちゃんとそらくんはどっちが大きいか」「そらくん」「ピンポン」「たいちゃんとみどりちゃんはどちらが大きいか」(いや、みどりちゃんは知らないけど。)「みどりちゃん」「ブッブー」。
 すっかりじいちゃんなんとか、になって、孫の写真を見せるのと同じことではないかと心配もする。明日の明日の明日の明日のほどの期限つき体験。

(M)

 

司法は「最後の砦」たり得ているか!!

司法は「最後の砦」たり得ているか!!

 

    あべ広美弁護士が弁護をしている「生活保護費打ち切り取り消し」を求める裁判は、熊本地裁で勝訴したが、昨日、福岡高裁での敗訴が報道された。

 長洲町に住み生活保護を受ける70代のご夫婦は、同居する孫が准看護学校に進学するために「世帯分離」の手続きを取った。学びを深めた孫は、准看護師の資格を取得し病院で働きながら看護師資格を目指してがんばり始めたが、熊本県は、増えた収入を老夫婦の世帯の分と認定して、生活保護を打ち切ったというもの。

 一審での勝利は当然と思っていたし、二審での勝利も間違いないと思っていたが、さにあらず。司法は弱者を救わない。「貧困の連鎖を断ち切る」という政府の、いや「三権」の本気度が問われているのではないか。

 

 一方、東京都世田谷区では、「生活保護世帯でも大学進学を」と、区独自で給付型奨学金を支給することを決め、2024年度予算に3180万円を計上した。世帯分離の場合1世帯一月あたり4万円ほどが減額され、学生が自分で生活費を稼ぐ必要があるが、それに見合う奨学金を支給するというもの。

    厚生労働省の調査によると、2020年の全世帯の大学等進学率は76.2%、生活保護世帯は42.4%だという。世田谷区の対象人数は約60人分。区の奨学金はアルバイトや貸与型奨学金で賄われる平均約50万円に相当するという。成績要件はなく、中途退学でも返還は不要だ。

 世田谷区長は、国会の質問王と称された元社会党衆議院議員憲法を暮らしに活かし、市民が主人公の政治を実践している。首長が違えば政治は変わる。政治が私たちの暮らしの、こんなにも身近にあることを教えてくれる。

 電気館では「〇月〇日 区長になる女」が上映中。行かねば。

 

 一昨日は、水俣病第二次国賠訴訟で熊本地裁は原告敗訴を言い渡した。裁判官は不知火海を船上から視察したそうだが、いったい水俣の何を見たのだろうか。時間や地域に線引きすることも許せないし、「あなたは水俣病だと認定するけれども訴えが遅すぎたネ」という判決には言葉を失う。

 三権分立と言うが、三権すべてがあらぬ方向を向いて分立しているのであれば、もはや民主主義国家の「ミ」の字もないのではないか。 

 

 今日は熊本県知事選挙の投開票日だ。

 

                         (Trout 2024.3.24)

国宝の城そして日本三景

国宝の城そして日本三景

 

 非常勤講師を辞めたので、聞いたことのある景勝地などを巡るツアーに行けるようになった。今回も実施日の一月以上前に申し込んだが、予約は埋まっていた。キャンセル待ちにしたら、しばらくして参加可の連絡が来た。

 

 初めて姫路城を訪れた。今までいろいろな城を訪れても、熊本城を見ているのであまり驚かなかった。修学旅行で大阪城を訪れたときもそうだったが、姫路城は違った。

 大手門から入って見えた姫路城の真っ白な天守閣は存在感が圧倒的であった。天守と東西の小天守それに門や櫓などと合わせた姿は往時を思い起こさせる。天守への上り道は複雑で狭かった。下り道はそうでもなかった。

 ふと思い浮かんだのは、熊本城の御幸橋そばの櫨方門から入り、竹の丸から天守に至る上り道。かなり昔に通って、二様の石垣に触り見上げたものだ。今は通れないが、あの幅広く奥行きのある石段をもう一度上ってみたい。

 

 現存天守のうち高知城と国宝の松江城には内部を見学したが、階段が急で狭くて少々怖かった。姫路城の天守は内部も広く、階段は急だが幅も充分あった。改修を続けてきたからだろうか、木材もそんなに古く見えなかった。

 西の丸の化粧櫓は本多忠政の嫡男・忠刻と再婚した千姫の休息所として造られたという。それに続く百間廊下の途中の部屋に千姫に関する展示があった。

 それにしても外国人の多いこと。英語、フランス語、中国語、韓国語、スペイン語などが聞こえたように思う。

 

 出石(いずし)城下町を散策した後、城崎温泉街に行った。志賀直哉の「城崎にて」の舞台になったと思うが、観光案内には見当たらなかった。川を挟ん両側に道がある風景は倉敷の景観地区にも似ていると思ったが、人通りは多くない。店が集中した駅通りは人が一杯だった。

 

 鉄骨造りで赤褐色の余部(あまるべ)鉄橋を写真で見たことがあった。明治末期から長く供用されてきた。上空を列車が通るだけだった余部の人たちの強い要望により餘部駅が設置されたのは戦後だそうだ。鉄橋と隣接した駅には長い坂を上り下りしなけれならない。後で調べたら、既にあった余部(よべ)駅と区別するために地区名と駅名の漢字を変えたようだ。

 1986年の列車転落事故が契機になり、10数年前に現在のコンクリート橋に架け替えられたそうだ。その後、駅に直結した高さ40mの展望施設「空の駅」が造られたという。

 40名ほどの参加者は年配者なので、大半が無料エレベーターを使った。私は我が家の相棒に付いて徒歩で急坂を行くことになってしまった。上った5人の中で男は私1人だけだった。少々不安だったが、そんなに時間はかからず駅に着いた。帰りは迷わずエレベーターで下りた。

 

 伊根の船屋を遊覧船で観た後、天橋立を見下ろす傘松公園に行った。ケーブルカーで上り、リフトで下った。個人旅行なら長い砂州の松林の中を歩いてみたいものだ。

 最近報道された「股のぞき」の男性を同僚がふざけて押した転落事故が起きた場所である。私も一応してみたが、身体が硬くなったことを実感することとなった。

 これで日本三景を全部訪れたことになった。広島の宮島は6年前、宮城の松島は昨年、そして京都の天橋立は今月にようやく行けた。

 

 今回は初めてのバスガイドなしツアーであった。添乗員はおられるが、移動中の説明はない。やはりガイドさんから途中や見学地の話などを聞かないと物足りない。忘れてしまうこともあるが、印象に残ることも多い。

 

 帰りの伊丹空港の出発ゲートで初めて足止めを食らった。なんでも、熊本便が機材変更になり調整をしているとのこと。放送はするが、様子も見に来てくださいと言われた。ゲートを通って保安検査を受けられたのは出発50分くらい前になった。

 

 今回、エンブラエル190という飛行機で熊本と伊丹を往復した。この機種は以前から就航していたようだが、頭に入っていなかった。エンブラエル社はブラジルの航空機メーカー。開発中止になった国産旅客機三菱リージョナルジェットの最大のライバルとされていたようだ。機内は2+2席の配置で、3+3席のボーイング737より機体幅は狭い。

 以前は旅客機はボーイングやダグラスなどのアメリカ製が独占していたように思う。今は日本の空をヨーロッパやカナダなどのいろいろな国のメーカーの機体が飛んでいる。もう国産旅客機が就航することはないのだろうか。

(熊本教育ネットワークユニオン true myself)

姫路城

余部鉄橋とエレベーター

天橋立