熊本教育ネットワークユニオン

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国宝の城そして日本三景

国宝の城そして日本三景

 

 非常勤講師を辞めたので、聞いたことのある景勝地などを巡るツアーに行けるようになった。今回も実施日の一月以上前に申し込んだが、予約は埋まっていた。キャンセル待ちにしたら、しばらくして参加可の連絡が来た。

 

 初めて姫路城を訪れた。今までいろいろな城を訪れても、熊本城を見ているのであまり驚かなかった。修学旅行で大阪城を訪れたときもそうだったが、姫路城は違った。

 大手門から入って見えた姫路城の真っ白な天守閣は存在感が圧倒的であった。天守と東西の小天守それに門や櫓などと合わせた姿は往時を思い起こさせる。天守への上り道は複雑で狭かった。下り道はそうでもなかった。

 ふと思い浮かんだのは、熊本城の御幸橋そばの櫨方門から入り、竹の丸から天守に至る上り道。かなり昔に通って、二様の石垣に触り見上げたものだ。今は通れないが、あの幅広く奥行きのある石段をもう一度上ってみたい。

 

 現存天守のうち高知城と国宝の松江城には内部を見学したが、階段が急で狭くて少々怖かった。姫路城の天守は内部も広く、階段は急だが幅も充分あった。改修を続けてきたからだろうか、木材もそんなに古く見えなかった。

 西の丸の化粧櫓は本多忠政の嫡男・忠刻と再婚した千姫の休息所として造られたという。それに続く百間廊下の途中の部屋に千姫に関する展示があった。

 それにしても外国人の多いこと。英語、フランス語、中国語、韓国語、スペイン語などが聞こえたように思う。

 

 出石(いずし)城下町を散策した後、城崎温泉街に行った。志賀直哉の「城崎にて」の舞台になったと思うが、観光案内には見当たらなかった。川を挟ん両側に道がある風景は倉敷の景観地区にも似ていると思ったが、人通りは多くない。店が集中した駅通りは人が一杯だった。

 

 鉄骨造りで赤褐色の余部(あまるべ)鉄橋を写真で見たことがあった。明治末期から長く供用されてきた。上空を列車が通るだけだった余部の人たちの強い要望により餘部駅が設置されたのは戦後だそうだ。鉄橋と隣接した駅には長い坂を上り下りしなけれならない。後で調べたら、既にあった余部(よべ)駅と区別するために地区名と駅名の漢字を変えたようだ。

 1986年の列車転落事故が契機になり、10数年前に現在のコンクリート橋に架け替えられたそうだ。その後、駅に直結した高さ40mの展望施設「空の駅」が造られたという。

 40名ほどの参加者は年配者なので、大半が無料エレベーターを使った。私は我が家の相棒に付いて徒歩で急坂を行くことになってしまった。上った5人の中で男は私1人だけだった。少々不安だったが、そんなに時間はかからず駅に着いた。帰りは迷わずエレベーターで下りた。

 

 伊根の船屋を遊覧船で観た後、天橋立を見下ろす傘松公園に行った。ケーブルカーで上り、リフトで下った。個人旅行なら長い砂州の松林の中を歩いてみたいものだ。

 最近報道された「股のぞき」の男性を同僚がふざけて押した転落事故が起きた場所である。私も一応してみたが、身体が硬くなったことを実感することとなった。

 これで日本三景を全部訪れたことになった。広島の宮島は6年前、宮城の松島は昨年、そして京都の天橋立は今月にようやく行けた。

 

 今回は初めてのバスガイドなしツアーであった。添乗員はおられるが、移動中の説明はない。やはりガイドさんから途中や見学地の話などを聞かないと物足りない。忘れてしまうこともあるが、印象に残ることも多い。

 

 帰りの伊丹空港の出発ゲートで初めて足止めを食らった。なんでも、熊本便が機材変更になり調整をしているとのこと。放送はするが、様子も見に来てくださいと言われた。ゲートを通って保安検査を受けられたのは出発50分くらい前になった。

 

 今回、エンブラエル190という飛行機で熊本と伊丹を往復した。この機種は以前から就航していたようだが、頭に入っていなかった。エンブラエル社はブラジルの航空機メーカー。開発中止になった国産旅客機三菱リージョナルジェットの最大のライバルとされていたようだ。機内は2+2席の配置で、3+3席のボーイング737より機体幅は狭い。

 以前は旅客機はボーイングやダグラスなどのアメリカ製が独占していたように思う。今は日本の空をヨーロッパやカナダなどのいろいろな国のメーカーの機体が飛んでいる。もう国産旅客機が就航することはないのだろうか。

(熊本教育ネットワークユニオン true myself)

姫路城

余部鉄橋とエレベーター

天橋立