熊本教育ネットワークユニオン

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注連飾りと城跡

注連飾りと城跡

 初めて正月の注連飾りを小さいものにした。小さな輪のついた縦20cmくらいである。これまでは大きな輪の熊本式だけだった。値段も安いが、以前の数分の一の大きさだ。実際に取り付けてみたら、思った以上に小さくて物寂しく思えた。

 コロナ禍になり、昨年から「どんどや」が中止になった。校区の小学校で毎年行われており、注連飾りを持って行き焼いてもらっていた。ゴミとして出す訳にもいかず、昨年のものはそのまま押し入れの中にある。

 子どもの頃は注連縄だけを買って、父が炭や米を白い半紙に包んでつけていた。それに干し柿や橙も。後は覚えていない。短い松の枝を半紙で巻いて水引で結んだものを玄関の左右の柱に釘で打ち付けていた。これが門松だった。今見かける門松は松だけでなく斜めの切り口がある竹を何本か立てたものがほとんどである。そういえば、唱歌に「松竹たてて門ごとに・・・・」とあるのを思い出した。いつ頃からだろうか、出来上がりの注連飾りを買って取り付けるだけになってしまった。

 正月の注連飾りをしない家が増えている。子どもの頃はほとんどの家の玄関にあった。大人になっても、そうするのが当然と思っていた。家だけでなく自動車のフロントグリルに付けたこともあった。そういえば、今の自動車には全く見なくなった。流行り廃りではあるが、フロントの形状がワンボックスやミニバンタイプ以外は空気抵抗軽減のためか取り付けづらくなっているものが多いようだ。

 昨年末に散歩したら、付けている家が少ない。28日には出しておくものだと妻は言ったが、大晦日でもある家は半分以下。昔ながらのもあるが、いろいろな形の小さいものも多い。次どちらにするかは、また年末に考えることにしよう。

 元日、早々に初詣を済ませてすることもない。そこで、新聞記事に国指定史跡となったと出ていた甲佐町の「陣ノ内城跡」に行こうということになった。地図を見ると町役場の近くのようだ。行ってみると、史跡指定の旗が何本も立っていた。しかし、案内標識を見つけられない。仕方なく、城跡がある台地に向かって進んだ。麓から少し離れたところを反時計回りに車を走らせた。すると、小さな立て看板のような標識を見つけた。途中から道は狭いが、整備したようで舗装が新しい。上り坂の行き着いた先が車両進入禁止となっていた。何回か切り返しをして、車を反転させて下り向きに駐めた。

 すると、オフロードタイプのバイクが1台、進入禁止の先の更に狭い道を上っていった。私たちは徒歩で上った。そこは四角形のかなり広い平地で建物があったと思われた。コンクリートの道があり、そこを一周した。発掘現場みたいなところもあった。土塁に上ってみると、眼下に堀がある。平地から降りてそこに向かったら、先ほどのバイクとすれ違ったので一応挨拶した。空堀はかなりの規模である。熊本城には及ばないが、これだけのものが台地の上にあるのは壮観でもある。

 町のHPには「江戸時代中期頃から阿蘇宮司の館跡と伝えられ、中世の輸入陶磁器なども出土するが、肥後国内で突出した規模を持つこと、大規模な堀と土塁で構成される城の構造は、豊臣系大名の城に共通することから、天正16年(1588)に入部した小西行長が、阿蘇氏の拠点が置かれた場所に築城したとする見方が示されている。」とあった。実際に見たら、やはり館というより城という感じがした。

 今回の上り口の反対側に草地の駐車場と狭い進入路があった。後でそこまでの道筋を地図ソフトで見たら、国道から狭い道でそれなりの距離がある。やはり国道から「鮎のやな場」方面へ数百メートルほど進み左折した方が良いと思う。車両進入禁止手前のカーブから直線になったところに数台駐車できるスペースがある。

 記憶が新しいうちに書いたが、またしてもダラダラとまとまり無くなった。そうこうするうちに、オミクロン株による想像以上の感染急拡大である。社会はそして学校はどうなるのだろうか。

(熊本教育ネットワークユニオン true myself)