熊本教育ネットワークユニオン

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ジャスミンが満開

 ジャスミンが満開

 

       (1)

 今日も野道を歩く。この時期、田園地帯は一面の若草色だ。記憶を辿れば、昔はどこの水田も赤紫色に覆われていた。各農家がレンゲ(蓮華草)を植え、これを緑肥として育て、打ち起こし、やがて来る苗代作りや田植えに備えていたのであった。最近は蓮華を見ることが少なくなった。代わって、ホトケノザ(仏の座)が繁茂する。花の色はこちらも同じ赤紫である。畦道ではカラスノエンドウ(烏の豌豆)が存在を誇示している。これもまた似たような花の色だ。よく見ると、どの株も先端から4,5センチのところで枝分かれしているようだ。隣どおしで絡み合い、そしてその先端で巻きひげを三つに分けて風に揺れている。植物事典によると、仏の座はシソ科。他の二つはマメ科だそうだ。花の色と科・属は必ずしも一致しないことを知った。

 

       (2)

 わが思考が迷走を始める時、またはその行先が見えなくなった時、たびたびこの本に頼ってきた。今日もページを開く。するとこんな言葉に出合う。

 

「人々は誠実になることは教えられないで、その他のすべてを教えられる。そこで彼らは、その他のことについては何か知っていてもさほど自慢しないが、誠実な人間であることについては大いに自慢する。」(パスカル『パンセ』68松浪信三郎訳、河出書房)

 

 なるほど。自民党のお偉い方々が、政倫審の場で胸を張って「自分は関わっていない、知らなかった。」と主張する。嘘が垣間見えているのに、強弁すればどうにか逃げられると思っているのだろう。裏を返せばこれは、誠実な政治家であれということを教えられなかったが故の科白(せりふ)なのかもしれない。胸に手を当てて「本当のことを申します。一連の流れは全部私が指示をしたことです。」と、一人ぐらいは言えなかったものかと思う。一時的には不利益を被っても、その正直さが却って好感を得ることにつながるのではないか。疑惑を招いた責任はもちろん本人にある。本人が悪いことは否定できない。だがもっと悪いのは、その疑惑や悪事を生む原因(もと)となっている、今の法制度とそれを悪用する自民党の体質なのだから。

       

       (3)

 わが家ではジャスミンが満開だ。いや満開を迎えた時、激しい風雨に晒されて花びらが乱れるように散った。幸いに後から後から蕾が膨らんでくるので、まだ暫くは咲き続けてくれるだろう。

 時が満ちれば花は咲き、時が過ぎれば花は散る。驚くことでも何でもない。人もまた同じだから。ただ人は、花のように無心になれない。流転の速さに驚き、移り行く日々を何とか留めようとあがいたりもする。しかしやがては、それらも永劫の時間の中に吞み込まれてゆくのだろう。せめてそれまでは夢や希望を語っていたい。また、春の愁いに浸っていたい。

(著者注:植物名はカタカナで表記するのが普通ですが、特徴が見えにくいのであえて漢字を付しました。)

                      ~~オウシャン・セイリング~~