熊本教育ネットワークユニオン

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「日本百名山」私考(その2)

     「日本百名山」私考(その2)     

         

(おことわり……前回「その1」の中で、深田久弥は『百名山』を選定するにあたって「高さ」「個性」「品格」を基準にした、という文を書きました。これは間違いでした。正しくは、「品格」「歴史」「個性」で、「付加的条件として大よそ1500メートルという線を引いた」というのが正しいところでした。記憶に頼って書いたための誤りでした。お詫びいたします。)

       

        (1)   

 深田の『日本百名山』が出版物として世に出た頃、当時の著名な登山家であった今西錦司は早くも危惧していることがあった。すなわち、名を明かすことによる山の荒れである。彼は言う。「深田は文人風な茶目っ気から百名山を選んだと言った。しかしいったん選ばれてそれが世間に広がると、今度はこの百名山に登ることを目的とした人が続出する。……そうした連中が年々歳々おおぜい山を訪れたとしたら、どういうことになるだろう。山頂の草も花も生ま身だから、たちまち彼らの登山靴に踏みにじられて、その姿を消してしまうに違いない。すると、深田は彼の百名山を犠牲にすることによって、他のもろもろの山を救うことになるかもしれない。」という皮肉を述べつつ、「山の雑誌や案内書が追い打ちをかけるご時勢だから、口を割らないというのが私と山の約束である。」(深田久弥「山の文庫」朝日新聞社に寄せる解説より)

 山々が名誉と引き換えにその神聖さを失うのではないかと恐れたのだろう。同様に、山の名を明かさない登山家として串田孫一の名をあげることができる。彼は哲学者あるいは詩人としての顔もあって、『山のパンセ』『四季の無言歌』ほか多数の著作の中に、自然と対話する美しい文章を残してくれた。大半がエッセイであり、紀行文はほぼ皆無である。

 

        (2) 

 もっとも、山が荒れることまで彼の責任に帰するのは気の毒かもしれない。深田派に言わせれば、もともとは彼が個人的趣味で始めたことを長年かけて完成させたに過ぎないのであって、「百名山」の完登を目指すなどと言って山を汚すのは後世の人間の節操のなさである、深田としては与り知らぬことである、と。

 ただし自分にとってはもう一つ気になることがある。それは「品格」という基準である。「個性」とどう違うのだろう。品位、あるいは気品と同義語なのだろうか。人間に当てはめて「あの人は品位がある、気品がある」という場合、我われは何をイメージするか。おそらく、「凡俗でない、世俗にまみれていない」などという連想になるのではないか。山の場合は、富士山や槍ヶ岳を代表とする「独立」「孤高」に近い気がする。だから群山の中の一峰では物足りないし、ずんぐりした山もあてはまらないだろう。周辺の山々より抜きん出ていなければなるまい。そうなると、「品格」というのは「個性」に限りなく近いと言えるのではないか。いずれにせよ、この言葉は「品定め」あるいは「格付け」という序列意識に基づくように思えてならない。

        

        (3)

 日本人にとっては古来、多くの山々が信仰の対象であったり生活の場であったりした。それは歴史的事実である。そこに存在すること自体が荘厳であり、いのちの源であったのだ。九州に住む人にとっては駿河の富士山、越中立山より、わが裏山の「権現さん」の方がはるかに有難い存在であったに違いない。山と人とのそういう関係を無視して、山に基準を設けたり特定の尺度で序列化するというのは、自分にはできないことである。それよりも何よりも、「百名山」の阿蘇に入る時も、標高が五百に満たない天草の白い岩峰に入る時も、自分は同じような幸福感を抱くのである。(終)

                      ~オウシャン・セイリング~