「日本百名山」私考(その1)
(はじめに)
山に関するエッセイや紀行、詩などをこれまでに何度も本欄に投稿してきました。しかし私のノートにはまだまだ豊富に山の記録が残っています。登山やアウトドアに興味のない方には退屈な文章となりますが、この後も不定期に投稿させていただくことをご了解ください。今回と次回は「日本百名山」について。これは作家で登山家であった深田久弥が、日本中の山々の中から彼の好みによって百座を選び、「名山」と名づけたものです。今日では登山愛好家の一つの指標となり、テレビ番組にもなるほど定着していますが、実は当初(彼の著作が出版された頃)は、異論もかなりあったそうです。そこで「名山とは何か」を、私なりに考えてみようというのが本稿の趣旨です。
(1)
山の高さを競う「背比べ伝説」というのが各地に残っている。熊本県内では熊本平野を挟んで東西に位置する飯田山と金峰山の背比べが有名だが、実は阿蘇山にも高岳と根子岳の、県南では肥薩国境の鬼岳と矢筈岳にも似たような民話があることを知った。ということは、この類の話は日本全国にあるといって間違いないだろう。富士山であれば当然、八ヶ岳をはじめいくつかの山々が日本一をめぐって挑戦することになる。この類の伝説や民話においては、勝負の行方は初めからわかっているのだから背比べそのものが面白いのではなく、勝ち負けが決まった後のエピソードが意味を持つのである。上にあげた例では、負けた方の飯田山と矢筈岳が深く反省をするという、きわめて人間臭い決着で終わっている。
人が高さにこだわるのはなぜか。それを真面目に考えようというのがこの文章の目的ではない。低いよりも高い方がいいと思うのは自然に働く心理だろう。人間の場合を考えても、見上げるよりは見下ろす方に愉快を感じるのが一般的だと思われる。では、高い山は価値があり低い山はそうではないという風につながるのであろうか。
(2)
山の価値が高さだけで決まるのならば、九州に生まれた我われは不幸である。ここには3,000メートル級はおろか2,000メートルを超える山だって存在しない。それでも登る山に事欠くことがないのは、標高以外の魅力があるからである。そしてその魅力というのも一様ではない。それぞれの山によって異なっている。言い換えれば、その山が持つ独特なものが我われを惹きつけるのだ。これは個性とも違う。個性は客観的であるのに対して、魅力というのは極めて主観的なものだからだ。したがって個性的な山であっても魅力を感じないこともあり得る。標高が高いというのは明らかに個性である。そういう個性を持つから魅力を感じることもあれば、逆に、標高がほどほどなので日帰り登山に最適という山(実は九州の山々はほとんどがこれである)に立派な魅力を見出す人もいるわけである。ただし魅力であれ個性であれ、繰り返しになるがそれらも一様ではない。植生によっても異なるだろうし、生成原因によっても異なるだろう。地理的、気候的条件による違いもあり得る。実に、山というのはすべてが違っているから美しいのであり、人間と同じである。ともすれば我われは一つの尺度でもって人間全体を測ってしまう傾向がある、一人ひとりを見ずに。山を愛する人間は同じ過ちを犯してはならないと思う。
(3)
深田久弥の「日本百名山」は驚くべき著作だ。彼は日本中の山々を自分の足で登っただけでなく、そこから選んだ百山に関しては豊富な資料や文献を繙いて歴史的考証も加えている。特に感銘を受けるのは、単なる印象でなく現地での鋭い観察に基づく描写である。洗練された文章はさすがに作家のものだと思わせるものがあり、自分も若い頃には何度も読み返したものだった。しかし最近は、いくつかの疑問を感じるようになってきた。その一つは彼の標高観である。
選定にあたって彼は、「高さ」「個性」「品格」という三つの基準を拵えた。高さにはあまりこだわらないとは言いながら、1,500メートルという基準を拵えてしまった(例外は筑波山、開聞岳、伊吹山)。その結果、四国では二座、中国地方では一座だけしか該当しなくなった。「選定はあくまでも主観に基づくものであって公正と言えるかどうか分からない」という弁明をもってしても、そもそも百という数字に限定してしまったところに彼の罪深さがあるように思う。(その1終)
~オウシャン・セイリング~