熊本教育ネットワークユニオン

活動の報告と相談の窓口です。またブログ担当者の学習の跡でもあります。過去の記事をご覧になるときは下のメニュー欄をクリックください

MENU

冬が近づくと…

        冬が近づくと…     

         (1)   

 10月の半ば、次のように書いて新たな投稿の準備をしていたのであった。「午後の散歩がようやく心地よい頃となった。つい先日まで濃密な緑の薮だった土手や野原が、小さな花園へと変ってゆく。……」しかしこの言葉は今は使えない。なぜなら、また気象の異変である。11月に入っても夏日が続いた。30度越えの真夏日もあって、常軌を逸した暑さに驚かされる日々であった。かと思えば、さすがに立冬後は冷え込む朝夕となった。(やっと本来の軌道に戻ったらしい。ちなみにこの文章のタイトルは当初「秋が深まると…」としていた。)暑さ、寒さの振れ幅が大きくなれば、春と秋が日本の四季から消えてゆくのではないかと心配する。

 日没後は急ぎ足で暗闇が迫ってくるようになった。時の流れというものは気象とは別物のようだ。何年生きてきてもまだ、この時間と光の感覚に惑わされている。

        

         (2)

 いつものように独りよがりな俳句(駄句)を試みる。

 ・虫も花も一斉に飛びたって青い空

 ・遮断機の奥より届く秋の声

 ・野葡萄や移り気多き恋心

 ・夕映えに浮かぶ家並みや百舌の声

 ・もの影が動き背後に秋の声

 ・冷ややかにショパンのワルツの如く去る 

 俳句は万人に届くものでなければならないと学んだ。つまり、あまりにも特殊な題材や突飛な表現は避けよということだと思う。その点で、「野葡萄」や「ショパン」はやや主観に偏りすぎであることを自覚する。だが季語そのものの中に、きわめて主観的に秋をとらえているものもあるのではないか。ゆえに、これら六句とも残しておくこととしよう。

       (3)

 冬が近づくと…。冬が近づくと、物価高がますます進むだろう。非正規や官製ワーキングプアと呼ばれる人たちの生活は更に苦しくなるに違いない。個人消費や実質賃金も下がり、日本経済は停滞し続けるだろう。苦し紛れに岸田政権は減税や給付などのアメを用意したが、国民の半数以上は冷淡である。その先の増税を見通しているからだ。賢明な国民はむしろ、一層の財政危機に陥ることを危惧している。庶民にとっての切実な課題である年金や医療制度の改革も、政府は一向に始める気配を見せていない。反対にインボイス制度などの弱者いじめには敏感だ。

 国民の目線とズレていても何ら修復する姿勢を見せないという、厄介な政治家たちを我われは育ててしまった。経済に限らずあらゆる分野で、国民の力は衰え、円安に追い打ちされてわが国の国際評価も下がり続けるだろう。坂道を転がるように、ころころと。

 冬が近づくと…。杉田をはじめ他のレイシストたちはますます破廉恥な差別発言に及ぶだろう。麻生や他の壊憲主義者たちが危険で無責任な言葉をまき散らすだろう。かつて日本社会では「経済一流、政治は三流」と言われた時期があった。今なら「経済三流、政治は五流」となるのではないか。政権政党だから何を言っても許されると思っているのなら、「誤解を与えてしまった」ようだから次の選挙では真実を知らしめてやることにしよう。

 しかし最大の問題は、彼ら国粋主義者に合わせるように、総理岸田が極右政治家への道を突き進んでいることだ。余りにも不人気なために解散総選挙は諦めたが、それでも年明けには新たな策動を始めるだろう。メディアの姿勢も気になるところだ。細かな政策に対しては一応の批判は繰り広げるが、日本の進路にかかわる安全保障政策に関しては政権批判をためらう傾向が見える。このまま鈍感極まりない報道姿勢を続けるのだろうか。

          (4)

 この季節、世界情勢は混沌の度を深め、ますます平和と逆行する流れとなっている。なぜ人類は破壊と殺戮を止めることができないのか。叡知に恵まれながら、なお蛮性を捨て去ることができない人間の、この最大の矛盾をどう整理すればいいのか。一個人としてまた市民として、己にできることは何か、為さねばならぬことは何か。難しい宿題であるが、いくばくかのリテラシーに恵まれた以上目を背けることはできない。深まりゆく秋の中で、己の心を見つめる作業をやってみたいと思う。

 

(後半はほぼ思い付きで書いたエッセーとなりました。読んでいただきありがとうございました。)                    ~オウシャン・セイリング~