熊本教育ネットワークユニオン

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じいちゃん業務2

じいちゃん業務2


    孫は可愛い。だが、それは自分と命がつながっている(とは言えそのことを確認する実感はない)のと、共に過ごす時間があるからではないのだろうか。自分には可愛くても他人には必ずしもそうではないと思う。だが、他人にも可愛くみえるだろうと思ってしまう人もいるようだ。孫の写真を何度も見せられ「かわいいですね」とは言うものの心のなかではかんべんしてよと言いたい人もいる。


 孫の保育園への送迎をたまにする。「昨日の昨日おやつはクッキーだったよ」一昨日という言葉はまだなく、それは昨日の昨日である。一昨昨日は、昨日の昨日の昨日である。その前は昨日の昨日の昨日の昨日である。なにか、新鮮さを取り戻してくれるなあ。
 初めて迎えに行ったころ、まだどちらも慣れてなく、20分ほどか、園からの帰り道二人黙々とチンタラちんたら歩いた。暑い夏私の影に入って暑さをしのぐこと、「じいちゃん、先に行って」。たまたまミカンの小さな実を見つけて「お、ミカンがなっとるぞ。ほらあれっ。」「後で大きくなるの?」。少しずつ会話がでるようになった。それから、いつの間にか車で迎えにいくようになった。「じいちゃんトシはいくつ?」「71」「たいちゃんはいくつと思う」「6歳」「すごいね、よく知ってるね」いや年長だから、そうなるけど。「すごいだろう」
「じいちゃん、おにぎりはお菓子なの」「いや、お菓子じゃないと思うけど。なんで」「この前おやつはおにぎりだった」なるほど、おやつはお菓子である。間違ってないぞ。その時のおにぎりはお菓子だ。でもいつものおにぎりはお菓子じゃないぞ。
 「行きたくない」車からおりようとしない。「なんでか」「体操教室のとき鉄棒がある。」「五回ぐらい体操教室があって三回目に鉄棒があって(左手の中指を右手で指しながら)今日はここ」と小指をさす。よく覚えてるなあ。そんなにいやなこと?でもなあ、じいちゃんは行かせないことはできないのだ。行かない気持ちは取り合わず先に園の方に歩くと彼はしぶしぶ来る。なんとか2階の教室まできて、ロッカーの前で、グズグズとしている。「今日の給食は、野菜のクリーム煮、サラダぞ。」園ノートに出席シールを貼るのも遅いなあ。さっきのはよく聞こえなかったのか、「給食何だった」とは聞いてくる。食べるの楽しみならいいぞ。やっと、みんなが集まる教室にいく態勢ができた。ところが、教室には入らず、しれっと階段を降りる。逃げ出すつもりか。おっと逃がすわけにはいかない、最悪なら捕まえて担いでも教室につれもどさないと。といってもあわてた素振りはみせず淡々と孫のあとを追う。一階におりると、職員室の前にたまたま担任のトモエ先生。「あらたいちゃんどうしたの」あえなく、先生に捕まり教室にもどった。担任の先生には逆らえないとさとってはいるような孫であった。よしこれからテニスができる。
 テニスを楽しみ昼飯もたべ、音楽を楽しみそして孫を迎えの時間。ムスッとしてるか、泣いているか。迎えにいくと、にこにこしている。「鉄棒なかった。遊びが三つあった。たいちゃん鬼になったと思う。?」顔を見て、「ならなかった。」「ピンポーン」「鬼の周りを回って捕まえられたら鬼。捕まえられないのが何回だったと思う」「4回」「ブッブー。12回」
「たいちゃんとそらくんはどっちが大きいか」「そらくん」「ピンポン」「たいちゃんとみどりちゃんはどちらが大きいか」(いや、みどりちゃんは知らないけど。)「みどりちゃん」「ブッブー」。
 すっかりじいちゃんなんとか、になって、孫の写真を見せるのと同じことではないかと心配もする。明日の明日の明日の明日のほどの期限つき体験。

(M)