熊本教育ネットワークユニオン

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孫が手を繋いできた、保育園からの帰り道。

孫が手を繋いできた、保育園からの帰り道。
 
 三月の時期はずれではあるが七五三詣でのときは、逃げまわり、舌打ちするほどであった。それから保育園の迎えをできるところで、やっている。迎えにいき、二人で何しゃべることなく、14、5分程度の帰り道。平日での3ヶ月ほどの同じ空間。リュックを背負い水筒を首からぶらさげ、なにか袋まで持っているが、私に持ってくれと言わないので、ただ横を歩いた。持ってくれと言えばいいのに、と思いながら。でも、持ってやったこともないなら、持ってというはずないかと思い、水筒大変そうで、「水筒持ってやろうか」という言うと、「うん」と渡した。何日かたち保育園に七夕飾りがあった。孫は私の手を引いて、「あれが○ちゃんが書いたもの」と指さした。「こわいゆめをみませんように」、裏には「うちにはちがきませんように」。どうも他の生物に恐怖を感じていて、私もそのなかにいるようであった。雀にさけんだり、電線のカラスにあらんかぎりの声だして威嚇したこともあった。カラスは知らん顔。七夕かざりの帰り道はその姉の小学校の帰りと一緒になり、三人。で孫は当たり前のように私と手をつないだ。じいちゃんの私に手をつないだという自覚もなかったかのようだった。そしてまた数日間、手を繋ぐこともない、帰り道を歩いた。
 
 今日はなぜか、手をつないできて、10メートルほども手を繋いだまま。「じいちゃんまって」と、手をはなし、私の後ろに回った。私の影にまわったのだ。「じいちゃん、こっちの方に行って」「(木の)影の横に行って」。そして横断歩道のボタンを押した。「もう暑くないね」「あっ、雲が出てお日様かくれたけんね」「あっこれはミカンよ知っとるか」「これはでかくなってオレンジになるの」「じいちゃん今日は止まってる」散髪屋さんの青白赤のぐるぐる回るやつ。「今日は休みだからだろうね」「(散髪屋さんが)あいてないから」「白が一番でかいね」そう言えば会話が増えていた。

 この世から去るまでの時間がすくない私とこれから過ごす時間が豊富な孫との接点でのことが、孫には何か残るのだろうか。なにか暖かいものが残るといいなと思うが、自分の幼稚園のこと全く覚えてないのを思えば、残るものはないだろうなあ。でも、とにかく、私にとっては幸せな時間ではあると思える。