最後の仇討ち
5月になって「蒼天見ゆ」(葉室麟/著)を読んだ。妻が市立図書館から借りた本のうちの1つである。最初は少しずつだったが、途中から一気に読んだ。史実を元にした歴史時代小説である。主人公は福岡藩の支藩である秋月藩の家老・臼井亘理(うすい・わたり)とその長男六郎である。幕末最後の1868年、藩内の政治的対立から暗殺された両親の仇討ちを13年後に果たした。1873年(明治6年)に明治政府の太政官布告の仇討禁止令が出されており、日本最後の仇討ちとされているようだ。
秋月には何回か行ったことがある。こぢんまりとした山あいの城下町で、城跡のところに学校があったことが印象に残っていた。(調べたら、秋月中学校だった)このことを題材に書かれた本がいくつもあり、テレビドラマ化もされたそうだが、本をあまり読まず歴史にも疎い私はこのことを全く知らなかった。
その経緯を調べて要約してみる。秋月藩の開明派である臼井亘理が酔って就寝中、かばった妻と共に尊攘派の手により惨殺された。親族が藩庁へ事件を届け出るが、尊皇攘夷のための正義とされ、暗殺者にお咎めなしとなった。そして臼井家は減禄になった。明治新政府に対する士族反乱の一つである秋月の乱後、父に手を下した一瀬直久は上京し、あろうことか裁判所の判事となった。六郎は甲府や東京などで一瀬を探し続けた。そして、1880年(明治13年)12月に一瀬を討って自首した。裁判で終身刑となり、模範囚として服役した。憲法発布の恩赦で釈放されたということである。
六郎の剣の師として山岡鉄舟、そして勝海舟も関わりがあった。その他に、大久保利通や大隈重信それに森鴎外なども出てくる。創作したところもあると思うが、作者の巧みな構成と表現で興味を持って読むことができた。
仇討ちの報が秋月に伝わると、元尊攘派の親族を見る目が冷たくなったという。亘理の改革の支持者でもあった一瀬の父は六郎が収監されたことを知ると、自殺した。母に手を下した萩谷は自分も討たれると怯え精神に異常をきたして死んだとされる。諸行無常という言葉が浮かんだ。
この本を読んで、ウクライナや世界各地での戦争による犠牲者のことを思ってしまう。肉親を理不尽に殺されたら、理屈なしに敵を憎み復讐したいと多くの人が思うだろう。それがお互いに繰り返されたら、もっと悲惨なことになるだろう。
4日前、散歩をしていたら火事に遭遇した。夕方、家並みの上に黒煙が見えた。消防車の音は聞こえないが、散歩コースの1つがその方向なので行ってみた。家と家の間から、瞬く間にその家が火炎に包まれていくのが見えた。破裂音も聞こえる。軒下からも瓦の隙間からも炎が屋根の上のTVアンテナに迫る勢いになった。野次馬の1人だが、目が離せなくなった。ようやく、消防車の音が近づいてきた。待っている時間が長かった。焼け跡を見たことはあるが、こんなに鮮烈な光景は記憶にない。翌日の新聞によると50分後に鎮火、通報した住人の男性は重体とのことであった。状況は違うが、爆撃で破壊され火災になった家の前に立ち尽くす人たちの姿が思い浮かんだ。
私は自分を信心深いと思ったことはない。たまに家の仏壇に線香をあげて手を合わせる。何も考えず寺で礼拝し、神社や弓道場で拝礼する。勝手な思い込みでおこがましいが、どんな宗教でも人間愛や平和を説いているのではないだろうか。神も仏もないような戦争(紛争・内戦)が終わることを願うだけである。自分が書いた文でも死や殺の文字が多く出てくると、あまり気持ちの良いものではない。
(熊本教育ネットワークユニオン true myself)