熊本教育ネットワークユニオン

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もう交換?

もう交換?

 

 車の12ヶ月点検をディーラーで受けたら、補機バッテリーが「C要交換」と判定された。1週間くらい前に初めて立ち寄ったコンビニから道路に出たとき、間違って歩道の縁石の段差が大きい所を通ってしまった。右折することばかりに気を取られていた。車体下に強い衝撃が2回した。リアバンパーの下の塗装が傷つていた。タッチペンを塗って目立たなくはしたが、少々ガッカリしていた。

 点検でボディの下回りは大丈夫ということだったが、補機バッテリーに加えてタイヤも溝はあるものの劣化してきていると言われた。なんだかあまり気分の良くない3月後半であった。

 

 同じ車名の車を3台続けて乗り継いでいる。世界初の量産ハイブリッド自動車となった初代の後期、3代目の前期、そして4代目の後期が今の車である。

 1台目をある時スーパーに駐めて戻ってきたら、ワイヤレスのドアキーに反応がない。ドアをキーを差し込んで開けてら、今度はエンジンが起動しない。突如バッテリーが上がってしまったようだ。自動車保険と提携している業者に来てもらった。起動に使ったバッテリーを内蔵したジャンプスターターを初めて知った。次の車を注文していたので、ディーラーで中古バッテリーと無料で交換してもらえた。

 燃費は期待したほどではなかった。初のAT車だったが、加速や上り坂などで力強さを感じなかった。市街地での燃費は以前の車と大して変わらない。郊外でも、たまに良い燃費を示すくらいだった。

 

 2台目は納車まで8ヶ月くらい待ったほどの人気車だった。乗り始めて半年ほどした朝の通勤中に追突事故に遭った。教頭から勧められて一応病院に行ったが、鞭打ちなどの異常はなかった。全額相手の保険で修理することになった。ディーラーでバンパーやトランク部分などをそっくり交換したので、修理に相当時間がかかった。排気量も車重も1台目より大きくなったが、力強さや燃費も向上した。

 

 今の3台目は2台目と同形式のエンジンで車重やタイヤサイズも変わらないが、燃費は一段と向上した。ニッケル水素電池だった駆動用バッテリーがリチウムイオン電池替わり、動力制御も改善されたのだろう。モーターの可動領域が増えてエンジンがかかる頻度が減ったようだ。なんだか力強さも増したように思った。

 

 ハイブリッドだからと思い、3台ともタイヤ交換以外の整備や点検はディーラーでしてきた。以前は、オイル交換や点検などはカーショップなども利用していた。最初に乗った車は中古でエンジンルームも隙間だらけで、オイルや点火プラグやラジエーターの不凍液それにバッテリーの交換も自分で一度はしてみた。

 今は隙間無く電子機器の塊みたいになっていて、触る気にはならない。ボンネットを開けることもほとんど無くなった。自分ですることと言えば、ウィンドウウォッシャー液の補充やワイパーのゴム替えなどくらいになった。バッテリー液の補充もハイブリッドの前の車まではしていたので、押し入れの中に液のボトルが残っている。

 

 補機バッテリーは3台とも従来の鉛蓄電池である。寿命は一般的に3年くらいと言われているようだが、前の2台は点検を受けながら10年くらい交換しないで済んだ。年々性能も上がっているだろうに、今の車の4年では早すぎると思った。それでも突然ストップしたら困るので交換することにしたが、在庫がなかったので1週間後くらいになった。

 大学卒業以来初めての無職の1年間。通勤をしなくなったので、当然走行距離は減った。できるだけ動かすようにはしているが、短距離である。カーナビなどの電装品に加えて運転支援装置に伴うセンサーやカメラなども付いてバッテリーの負担は増す一方である。個体差はあるだろうが、劣化が進んだ要因でもあるだろう。

 

 点検の時に早めのオイル交換も考えたが、止めておいた。1回の料金がかなり高くなっていた。1回当たりがかなり割安になるオイル20Lのボトルキープ料金は昔の2倍近くになった。カーショップでもそんなに安くないし、バッテリーも相当高かった。車を維持するのも大変である。

 次に乗り替えるとするなら、運転支援装置が充実した軽自動車も良いし、そのうち義兄のように免許返納することになるかもしれない。

 

 時々旅行する以外はあまり変化のない日々を過ごした。無職だと年度替わりという感じもあまりしないが、朝ドラは替わった。前作の主人公は笠置シヅ子がモデルであった。聞いたことのある歌もあったが、初めて聞くものもあった。淡谷のり子服部良一などをモデルにした人物も登場して興味深く飽きずに観ることができた。

 今度は初めて知る三淵嘉子がモデルだという。日本初の女性弁護士の1人であり、初の女性判事および家庭裁判所長となったそうだ。法曹界の歴史の一端を垣間見ることになるのだろう。また観続けていくことになる。

 

(熊本教育ネットワークユニオン true myself)