熊本教育ネットワークユニオン

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昨日の投稿について

昨日の投稿の下の片桐論文の引用は重要なことを述べている。

1983年に書かれたこのことを、2009年の民主党を中心にした政権が学び、政権維持対策を常に取るべきであった。その警戒心のなさが日本の今を迎えている。欧州左翼はそれを模索していたのに・・・・。日本の政治家やイデオローグは何をしていたのだろう。

片桐薫『ヨーロッパ社会主義の可能性――イタリアを中心に』岩波書店、83年

 第1は左翼が多数をとって保守政権と交代したとき、あるいはかろうじて政権についたとき、どのようにして永続的な統治能力を固めるかということ。第2はアメリカの勢力圏の中ではどのような条件において左翼政権を存続させることができるか。第3は軍隊の問題。第4は資本の逃避、流出をどのように食い止めて経済復興にさし向けるかという問題がある。

 「ヨーロッパ左翼が今日なおその答えを見つけようと努めているこれらの基本問題は、チリの崩壊を契機に提起されたものです。イタリア共産党はこうした緊急の問題性にたいする彼らの答えしてその《歴史的妥協》の構想をうみだしました」「チリの9・11」の衝撃を受けてイタリア共産党のベルリンゲル書記長は、「チリ事件後のイタリアについての考察」という論文を発表、《歴史的妥協》と呼ばれる新しい路線を提唱した。それは「イタリアを危機から脱出させるための戦略として、左翼だけでなくカトリック大衆を含む進歩的、民主主義的思想をもつすべての勤労者、市民の自由な連合、そしてそれを基礎として巨大な政治同盟の形成をよびかける」ものであった

 イタリア共産党とスペイン共産党とは友好関係にあった。68年のソ連によるチェコスロバキアの軍事占領に反対、ポルトガル共産党の「電撃的な権力奪取」路線を批判、そして《歴史的妥協》のテーゼで両党は完全に足並みをそろえ、75年には「共同行動宣言」に調印した。

 フランス共産党は、昔から「モスクワの長女」と言われるほど、クレムリンが指し示す思想や路線に忠実なことで有名だった。しかし、マルシェ書記長の下でクレムリンから離れてイタリア・スペインの路線に次第に接近していき、76年2月の22回大会で「プロレタリア独裁」の概念を放棄するに至った。77年3月、フランス、イタリア、スペインの党は「共同声明」を発表、いわゆる「ユーロコミュニズム」が発足する。

 ユーロコミュニズムは、①社会主義の概念とそれへの移行の戦略を、発達した資本主義固有の条件に適合させること、②したがって共産主義運動において「西方」を「東方」から分離することを意味した。56年のスターリン批判以後、独自にそのような道を歩んできたイタリア共産党にとっては当然のことであったが、仏伊論争で対立していたフランス共産党が、今回は足並みをそろえたところに大きな歴史的意義があった。