熊本教育ネットワークユニオン

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「岩鼻やここにもひとり月の客」

「岩鼻やここにもひとり月の客」

 

    昨日は仲秋の名月。夕食を済ませてしばらくしてベランダに出て見上げると、満月が中天近くまで上がっていた。月見団子は既に腹に収まっていて風流にはほど遠かったので、罪滅ぼしに、名月を詠んだ「短歌と俳句」の御紹介。

 

    明恵上人(みょうえしょうにん1173~1232)が、感動をそのまま連ねたという歌

             「あかあかやあかあかあかやあかあかや

あかやあかあかあかあかや月」

 日本文学者のサイデンステッカーは、この歌を次のように翻訳している

“O bright, bright,

O bright, bright, bright,

O bright, bright.

Bright, O bright, bright,

Bright, O bright moon”

川端康成「美しい日本の私」1969 講談社

 

    芭蕉の門人である去来は自作の「岩鼻やここにもひとり月の客」という句について、芭蕉が上京した折に次のように尋ねた。「洒堂(芭蕉の門人)はこの下の句について『月の猿』の方がよいと申します。私は『月の客』がよかろうと思いますが、いかがか」と。芭蕉が「『猿』とはどういうことか、お前はこの句をどのように考えて作ったのか」と問うと、去来は「名月に乗じて句を作りながら山野を歩いていると、岩の突端にもう一人の月を愛でる風流人を見つけたという意です」と答えた。芭蕉は「『ここにも一人』は『自分を名乗り出た』ことにしたらなら、どれほど風流であったろうに。是非『自称』の句としたがよい」と言う。去来は「なるほど、自称の句となしてみると、風狂の様子も浮かんで、自分の趣向の十倍もすぐれている」と思った。(向井去来去来抄」1775)

    創作も「文芸すること」だが、鑑賞もまた「文芸すること」であり、作者の意図より鑑賞の方が優れている例として、この「去来抄」を、遙か昔に学んだ記憶がよみがえった。

 

    十五夜から明けて、今日午前中は今夏二度目の庭の草引きで大汗。ミニトマトやオクラは早くに撤去して、残っていた二本のピーマンも引き抜いたが、中小(大は無し)28個の実を収穫した。都合300個ほどを収穫したことになり、なかなかの成果に満足。犬との朝の散歩は、ちょうど立田山から太陽が顔を出す時間に出発する季節になった。もうしばらくすると懐中電灯が必要になる。古稀を迎えてはじめての秋の到来は、やや感傷的にもなる。

(9月11日)