無アクセント
熊本市で生まれ育った私は、アクセントの区別があまりつかない。無アクセントあるいは平板アクセントの中で生きてきた。聞くにしても言うにしても、橋と箸、牡蠣と柿、雨と飴、花と鼻、雲と蜘蛛などの違いがハッキリしない。アクセントを意識していないので、2文字の場合、「低低」、「低高」、「高低」、「高高」のどれでも発音しているようにも思う。3文字以上になったら、ますます分からない。
標準語のアクセントで橋は、「は」は低く「し」は高くの「低高」発音。箸は、「は」は高く「し」は低くの「高低」発音だという。牡蠣は「高低」で柿は「低高」、雨は「「高低」で飴は「低高」。花と鼻はどっちも「高低」で、雲と蜘蛛どっちも「低高」だそうだ。東京と大阪では、アクセントが反対のものもあるようだ。
現在ではアナウンサーが使う言葉が標準語と見なされているように思う。関西出身のアナウンサーは標準語のアクセントを身につけるように訓練するという。熊本出身のアナウンサーも努力したのだろうが、芸能人などは苦労していないのだろうか。
「くまモン」のアクセントは県内の放送局によって違うという。「く」にアクセントがある頭高(あたまだか)で読むのが、NHK、KKT、KAB。アクセントをつけない平板で読むのが、RKK、TKUだそうだ。どちらでも良いのだが、くまモンの産みの親とされるアートディレクター・水野学氏は、「く」にアクセントがあるつもりで名付けたそうだ。私が発音してみると、平板のようだ。「くまモン」が「熊本ん(の)もん(者)」という意味ならば、平板の方がしっくりくる。
日本語のアクセント分布図を見ると、熊本南西部は九州二型となっている。アクセントの型(パターン)を二種類持つそうだ。県南西部のいくつかの高校に勤務して、その地元にも居住した。言葉の違いは多少はあったが、アクセントを意識したことはない。我が家の相棒もその地域出身だが、アクセントについては分からないと言う。
大分にはアクセントがあると、大分出身の同僚から聞いたことがある。分布図でも、東京外輪式とある。大分にいる姉は無アクセントに大分弁が混じっていることになるが、アクセントの話は聞いたことがない。
北関東の栃木や茨城も無アクセント地域で、出身の芸能人などの話し方が一本調子のようにも聞こえる。
単語レベルの音の高低をアクセントで、文章全体の高低の調子をイントネーションと言うようだ。テレビなどで、時々イントネーションが標準語と違うようだと思うことがある。例えば、鹿児島のイントネーションには抑揚があり、優雅な感じさえする。ニュースなどで、記者やレポーターなどが標準語で話しても、この人は地元出身だろうと思うことがある。
私は生徒を呼称するときは、自分が生徒のときと同様に「さん」や「君」をつけずに男女とも呼び捨てしていた。義務制の学校では30年以上前から生徒や児童に男女とも「さん」付けで呼んでる先生がいた。8月に招かれたクラス同窓会で小学校の教員をしている元生徒に聞いたら、全員「さん」付けしていると言った。
教員をしていて、ふと気付いたことがある。生徒や後輩を呼び捨てで発音するときは語尾を伸ばしがちである。ところが、呼名するときに、後ろから2番目の文字にアクセントを付けて伸ばしてしまうことがある。例えば、鈴木なら「すずきー」で良いのだが、「すずーき」と2番目にアクセントをつけて伸ばしてしまう。ところが、鈴鹿だったら「すずかー」とだけで、「すずーか」とは言わない。
県名を呼名するとしたら、熊本は「くまもとー」だが、宮崎は「みやざーき」、長崎は「ながさーき」と言いがちである。福岡は「ふくおかー」、鹿児島は「かごしまー」である。
いろいろ発音してみたら、どうも語尾の文字の母音が「い」と「う」のときに、直前の文字の発音にアクセントをつけて伸ばすようである。語尾の母音が「あ」「え」「お」の場合はしない。これは私の周りあるいは熊本特有なのだろうか。言語学者ではないので、詳しいことは分からない。
電話を掛けるときに、静かに言うときは「もしもし」と平板、強く言うときには「もしもーし」と言ってしまう。これはテレビやラジオの番組などでも聞いた気がするが、全国的にそうなのだろうか。
標準語は明治時代に上級階層の東京の山の手言葉に基づいて作られたと聞く。時代小説などでは、下町言葉のベランメー調は職人で商人は使わない。東京が標準語という訳ではなく、東京弁ということになるだろう。
テレビの番組で観たが、大阪の人に標準語で話してくださいと言ったら、途端にタドタドしくなった。大阪の人はどこに行っても、大阪弁を抑えない感じがする。芸能人も大阪弁主体で話す人が多い。沖縄や鹿児島や青森などの芸能人は、方言主体ではあまり話さないように思う。
九州の人は、県外や九州外に行ったら標準語に近づけようとするのではないだろうか。私も福岡での学生時代は熊本弁を少しは押さえたようには思っている。しかし、周りに熊本出身が多かったので、ほとんど熊本弁だったようにも思う。博多弁も北九州弁も筑豊弁なども聞いていたが、全くうつらなかった。
高校の教育実習は熊本だったが、中学校の教育実習は久留米だったので、授業の時は極力標準語で話そうとしたと思う。ところが、SHRでとっさに発言したら、生徒の前で熊本弁丸出しになったことを覚えている。
自身でお国なまりを売りにしているような芸能人などもいるだろうが、都会の人が地方出身者のアクセントを笑うのは傲慢だと思う。地域によって言葉やアクセントが違うのは当然。地方は人口減少が激しく、東京などには人口の流入。東京あたりでは、若者を中心にあらゆる言葉を平たく発音する人が増えているそうだ。アクセントも含めて日本語は変わり続けていくのだろう。
(熊本教育ネットワークユニオン true myself)