人吉球磨豪雨災害に思う
市原康宏
この春小学校を定年を一年間残し退職しました。4月から通信制高校の非常勤と放課後ディのダブルワークをしております。両方とも民間ですので組合はありませんでした。そこで県教組時代から付き合いのありました高教組の青木委員長の紹介で、教育ユニオン( 熊本教育ネットワークユニオン )に加入させていだきました。
青木さんとの出会いは、30年以上前の人吉時代に遡ります。昭和が平成に変わろとする頃、国鉄が民営化され、次々に赤字ローカル線の廃止が断行されていました。人吉でも地元ローカル線の国鉄湯前線が、風前の灯火になっておりました。そこに立ち上がったのは、一高校教師だった生駒さんでした。当時、彼は多良木高校の湯前分校の教師でした。分校生徒への理不尽な差別と向き合っていた彼は、やがてこの湯前線廃止問題を重大な社会問題と捉え、廃止反対運動に立ち上がったのです。またその手法が、実にユニークでした。まず大統領制のくま川共和国を建国し、国の公共交通機関としての湯前線を指定します。そして、サポーターとしてくま川鉄道国債を買ってもらうという方法で、存続運動を牽引していきます。やがて、地域住民を巻き込んだ活動が実り、第三セクターのくま川鉄道が湯前線を引き継ぐ形で発足しました。当時、私は人吉から多良木小学校に通勤しておりました。多良木で飲んでも、ワンコインで人吉に帰れることができるくま川鉄道にはずいぶんお世話になりました。そして車がない朝は、高校生で満員のくま川鉄道で通勤したものです。共和国大統領領補佐官としての仕事はサボってばかりでしたが、国債の販売と国民の義務とされたくま川鉄道の利用は頑張りました。
今や「アニメ夏目友人帳」や「るろうに剣心」で有名になったくま川鉄道が、今回の人吉球磨豪雨で不通になり、肥薩線の復旧の見込みも立たないとのこと…あの時くま川鉄道で通学していた生徒さんたちの笑顔を見られないこと、同時に多くの子どもたちの進学の夢もたたれようとしていることを、今回の寄稿で改めて思い起こしました。「がんばらんね市原さん」という生駒さんの笑い声が、天国から雨音と一緒に聞こえてきた気がしました。