熊本教育ネットワークユニオン

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一人暮らし

 連れあいさんが子供の引っ越しの手伝いといって東京に行ったまま、2週間が経とうとしている。

 この間、業務研修会、各種集会、母の見舞いと、忙しく日を過ごしてきた。

 いつかは、一人になるか一人にするかわからないが、今週は特に行事もなく、家にいる時間がたっぷりある。撮り溜めた、中国歴史ドラマ、韓国歴史ドラマなど映像をずっと見ている。

 帰ってくると真っ先に、草が生えていると言いそうなので、草取りに精を出す日々である。

 昼間は30度近くになるこの頃、熱中症になりそうなので作業時間は、朝6時頃から1時間ほどと決めている。

 草を取りながら庭を回ると、白い花を見つけた。気付いたと言った方が正しい?

たぶん、鳥が運んでくれたもの。

 今年初めて花を咲かせたものと思われる。

 ネットで調べたら花名は“”クチナシ“とあった。

 ウィキペディアで「クチナシの花」を検索してみた。

くちなしの花」(くちなしのはな)は、渡哲也1973年8月21日に、ポリドール・レコードから発表したシングル曲。

 

プロデューサーの山口光昭が、クラウンレコードにいた昭和45年か46年頃に「海軍特別攻撃隊 遺書」という戦没学徒の遺書を著名人の朗読で収録するアルバムを企画した(1972年4月に、規格品番GWX-35~36の2枚組LPでレコード化)。その際に、江田島の旧海軍兵学校の資料館や防衛庁で集めた遺書の中に、作家の曽野綾子に紹介された宅島徳光海軍飛行予備中尉の遺稿集「くちなしの花」があり、愛する女性に対する想いをつづった遺書があった。宅島中尉は訓練中の事故で亡くなっていたため、レコードには収録されなかったが、山口は二十四歳の命を空に散らせた若きパイロットの詩から受けた感動を忘れられなかった。その後、昭和47年にポリドール・レコードに移り渡哲也の担当プロデューサーになり、前作の「男の別れ歌」が全国的にキャンペーンを展開するも不発に終わり、次作にこの「くちなしの花」が思い出され、花の歌に得意な水木かおるに作詞を依頼、企画を練った。

 

遠藤実の元に水木の詞が届いた際には、第1稿から20回ほど手直しが入っていたが、「今では指輪もまわるほど~」の部分が2コーラス目の真ん中に入っていたのを、「いちばんおいしいところがここではもったいない」と遠藤がさらに注文をつけ、1コーラス目の頭に変更になった。

 

遠藤はこの曲を作るにあたって、歌手としては素人の渡の立場を深く考え、「できるだけこねくり回さず、曲想をシンプルにして、音域を増やさないように心がけた」。「できあがった曲をピアノで弾いていたら涙が出た」と渡に言うと「この歌で先生お泣きになったのですか」と驚かれ、一瞬拍子抜けしたが、その要因の一つに編曲があると考え、遠藤が編曲料を持ち、再度編曲を斉藤恒夫に依頼した。

 大学生の頃に流行っていた歌で、学生生活を思い出し、今までの年月を思い感慨に耽った。

( S )