熊本教育ネットワークユニオン

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故きを温ねて怒りを新たにする(その2)~新聞スクラップより~

故きを温ねて怒りを新たにする(その2)

           ~新聞スクラップより~

 

 更にページをめくっていきますと、『国旗国歌法が成立』という大きな見出しが目に飛び込んできました。1999年8月のことです。そう言えばあの頃(80年~90年代)、卒業式をめぐる職員会議において管理職と教職員の間で毎年のように論争があったことを思い出します。私も、元気のいい論客に乗っかって私見を述べていたのでした。組合員の主張はもちろん日の丸掲揚反対、君が代斉唱反対です。代表的な意見は、「日の丸、君が代が戦争中に果たした役割を忘れてはいけない。すなわち軍国主義の象徴としてアジア太平洋の国々を蹂躙し多大な迷惑をかけたこと。その反省として私たちは今の平和憲法を得たこと。したがって日の丸を掲げ、君が代斉唱を強要し起立を求めることは、憲法が保障する思想信条の自由に反するものである。」ということでした。(尤も、意見を述べるのは限られた者たちだけ。大多数の教職員は沈黙し聞いているだけでした。)一方、厳粛に式を進めたい校長は多くを語らずとも、最後には日の丸・君が代を強行するという形をとったのです。県教委や県議会議員が来賓として出席しますから、校長たちの心情をくみ取れば、やむを得ない処置だったのかもしれません。

 その頃、広島県の県立高校校長が苦悩の果てに自殺をするというニュースが全国に流されました。「何が正しいのかわからない。管理能力はないことかもしれないが、自分の選ぶべき道がどこにもない。」と彼は言いました。彼も県教委と教職員の板挟みになっていたようです。これがきっかけとなって国は法制化へ動いたのでした。しかし法の成立をもって文部省は自治体に日の丸掲揚を要請することになります。学校に対しては、「日の丸・君が代を指導しない場合は(教師は)懲戒処分の対象となる」と脅しをかけました。一方で「児童、生徒の内心にまで立ち入って強制しようという趣旨ではない」という、実に曖昧な態度を表明しました。参議院での採決の際、反対票が71票もあった(賛成は166)ことを考慮しての狗肉の策、困惑の意思表示だったのではないでしょうか。

 とは言え、一旦事が定まると社会はその中で動き始めます。日の丸も君が代も、今では国旗、国歌として多くの国民に認知されつつあるのではないか、そんな社会情勢になってきているように見えます。根本は天皇制を擁護するか否かという大問題ですから、大半の国民は判断を棚上げせざるを得ないでしょう。まして、こんな歴史があったことなど知らない若い世代はなおさらのことです。悲惨な戦争を経験した世代、戦争があったことを学んだ世代としては残念ですが、日の丸・君が代問題、いや天皇制を論じることそのこと自体も、徐々に風化しつつあると感じます。当日の論評には次のようにあります。「学校は、日の丸・君が代の歴史や戦争で果たした役割について事実をきちんと教える必要がある。国旗・国家を尊重することが国際的マナーであるというのなら、そうした事実を知ることも植民地支配を受けた国々と付き合うのに不可欠の作法である。……日の丸・君が代の法制化が、職務命令でしか結ばれないような校長と教師の冷ややかな関係を学校に広げるなら、失うものはあまりにも大きすぎる。」(共同通信編集委員・山田博さん)ひょっとしたら私たちは、すでに大きなものを失ってしまったのではないでしょうか。

 風化をどう防ぐか、いや風化という課題に対してどう向き合うべきか。これは被爆者や戦争の犠牲者、公害の被害者たちが最も恐れていることでもあると思います。未解決の、疑惑を残したままの政治課題もいろいろあります。さあお前はどうする……?新聞スクラップを読んで、己に突き付けられた宿題がまた一つ明らかになったことを感じました。

                        ~~オウシャン・セイリング~~

https://kenu2015.hatenablog.com/entry/2024/04/25/172627  にその前編があります。